ダイヤダイヤ・*:..。生きる伝説 吉田拓郎の歌を聴こう。..:*・ダイヤダイヤ

2013年09月27日

楽天初優勝

球団が設立されてからいつも馬鹿にされてきた。
あまり物が集まったような球団で、最下位が低位置。
優勝なんて言葉を口にしたら笑われる、そんな球団だった。

でも投手には魅力があった。
岩隈がいて田中が入団した。

傷だらけの闘将星野がやってきた。
そして震災。
監督の、選手の、ファンの、様々な思いが優勝を掴み取った。
無情な野球へのリベンジ、理不尽な災害への叫びが胸に響いた。

今だから言える…嶋スピーチによる重圧「優勝で救われた」
涙が次々とあふれ出る。ウイニングボールをつかんだ楽天の嶋がマスクを放り投げ、田中に抱きつくと号泣した。
 「時間が止まったように感じた。いろんな思いがあるし、ここまで頑張ってきた思いがある」

「見せましょう、野球の底力を!」。11年3月11日、東日本大震災が発生し、球界は開幕問題で揺れた。4月2日の復興支援を目的とした慈善試合前には感動のスピーチを披露した。しかし、これが嶋にとって重圧となった。「ファンは一番優勝を望んでいる。逃げたいと思ったこともあった。しんどいと思うこともあった」。チームが低迷時には、「おまえが底力を見せろ」とヤジが飛ぶこともあった。あれから2年半がたち、やっと被災地のファンに優勝をプレゼントできた。

選手に愛され星野監督7度舞い「オレは何か持ってるね」
11年秋から岡山県倉敷市で球団初の秋季キャンプを敢行した。球団初年度から予算の都合で実施されていなかったが、指揮官が「俺が金を出す。日程を組んでくれ」と球団に直訴した。キャンプ中は選手同様に朝5時に起床。時には自らバットを手にし、40歳以上も年が離れた選手にノックの嵐を浴びせた。芽を出す土壌を自ら耕した。「若者を育てていくのは男のロマン。あの時“磨けば光る”と思ったやつが2人いた。鈍く光っていた」。それが、当時無名だった銀次と枡田。今や「星野チルドレン」として中軸を担うまでに成長した。

 「孫と言ったら年を取りすぎているし、子どもにしたら若いしなあ」

今月15日。仙台市内の自宅を、斎藤と松井のベテラン2人が訪ねてきた。座骨神経痛などに苦しみながらも必死に闘う指揮官のために、懇意の整体師を連れてきてくれたのだ。腰をもまれながら、星野監督は思った。「俺は幸せ者や」と――。

【楽天】マー絶叫初V!魂の8球オール150キロ超えKK締め
「日本一の投手になりたい」とプロの門をたたき、1年目から11勝をマーク。5年目の11年には19勝を挙げ、沢村賞など投手タイトルを総なめにした。「日本一の投手」になったが、それでも物足りなかった。「本当にいいシーズンだったと言えるのは、チームと個人と2つそろっていい成績を残さないと、心の底から喜ぶことはできない」。この年、リリーフ登板で20勝を挙げることもできたが「中継ぎで拾って20勝したいとは思わない」と拒否。5位に沈んだチームで、20勝することは意味がなかった。

シーズンが始まる前、沖縄・久米島の海辺でこう絶叫した。「WBCで世界一、シーズンで日本一。2つの頂点を目指します。全国の野球ファンのみなさんに一言、言わせてください。今年の野球界の主役は、俺たち楽天だ!」。世界一こそかなわなかったが、言葉に偽りはなかった。「球団創設以来、いろんな人の思いもあるし、今シーズン、誰も優勝すると思ってなかったと思う。いい意味で期待を裏切れて良かった」

【楽天】星野監督「震災でハートに火ついた」定位置Bクラスから3年で頂点!
 田中の最後の黒星となった昨年8月19日の西武戦(西武D)の試合から数日が経過した日だった。「俺に、そのボールがあったら30勝できる。今のままじゃ、おまえは怖くない」。あれ以来、田中が変わった。「無敗で来るなんて誰が想像してたんや」。力強い投球がよみがえり、前人未到の領域まで突き抜けた。

 今年のキャンプイン前夜、コーチ、選手、スタッフ全員の前で「今年は優勝するぞ」と宣言した。就任3年目。ナインの前で「優勝」という言葉を口にしたのは最初で最後だった。周囲には「Bクラスなら切腹」とまで漏らした。「優勝の可能性は0%だと思っていた」。そう振り返ったが「無理だと思っても、理想は持っていないといかん。高望みであっても、俺が理想をもたなくてどうする」。

 04年オフだった。近鉄が消滅し、楽天が新規参入した。「言い出しっぺは俺なんや」。球団再編の動きがでた頃に、食事会で三木谷氏と顔を合わせた。「あんたのような企業こそ(球団を)持つべきだ」と進言すると「そうなったときは、いろいろと教えてください」。当時は夢にも思わなかった監督就任を、10年オフに引き受けたが、就任直後に待ち受けていたのは予想できない出来事だった。

 11年3月11日。東北を大地震が襲った。「言葉は悪いけど、震災で燃えた。あれでハートに火がついた。乗り越えるものにしか、試練はやってこない」。現役時代、目をつり上げて巨人に立ち向かい、万年Bクラスの阪神の監督を引き受けた時と気持ちは同じだったが、震災直後のチームはバラバラだった。

 震災当日、チームは兵庫・明石にいた。指揮官は「野球選手は野球をやってナンボ」。仙台に戻ったのは35日後のこと。一日でも早く仙台に戻りたい選手と、開幕直前の大事な時期に野球を離れることを恐れる指揮官の間には確執も生まれた。「選手と溝ができていることは知っていたけど、気にもしなかった」。言葉とは裏腹に、苦悩は大きかった。

 「勝つことがすべてだった。育てるよりも、いま勝って喜ばせないとアカン。でも、やっぱり勝てなかった。1年で若いヤツを出してたら、もうちょっと早く今みたいになっていたのかも分からん。チーム作りが遅れた。でも現有戦力でやるしかなかった」。1年目が5位、2年目は4位。CSにすら出られなかった。2年とも、シーズンオフに受けた健康診断で知らないうちに、胃に無数の穴が開いていた。

 監督として中日、阪神に続き、3チーム目のリーグ制覇。三原脩、西本幸雄に次ぐ史上3人目の偉業となった。「一度くらいは戦力が整っているチームで監督をしてみたいと思っていたけど、監督生活の最後に引き受けたチームが、一番の貧乏くじだった」と笑ったが、足掛け3年で球団初年度からBクラスが定位置だったチームを最強にした。中日、阪神ではいずれもリーグ優勝止まり。悲願の頂点へと挑む。

楽天初優勝。チームをひとつにした「8月のある出来事」
なかでも頑張ったのが、4番手で登板した長谷部康平。2日前の8月22日に母親を亡くし、当初は「ロッテはいい左打者が多いから、穴をあけたくない」とチームに残ることを希望していました。最後は星野監督の「行ってこい」のひと言で、23日の通夜に参列することになり、24日の朝、実家のある岐阜から仙台に戻ってきました。

 当日の試合前、球場で本人に会った時に「いろいろと大変だったね」と声をかけると、「やるしかないです」と気丈に振る舞っていた長谷部。しかし、8回に登板し打者2人を抑えベンチに戻ってくると、緊張が解けたのか、涙が止まりませんでした。ベテランの斎藤隆さんが長谷部のもとにかけより、肩を抱く姿が印象的でした。魂のこもった長谷部のピッチングが、チーム全体に一体感をもたらしたと、私は思います。

 その斎藤隆さんからウイニングボールを手渡された長谷部は、「母親に頑張っているところを見せたいと思って投げました。いいボールがいったと思います」としっかり前を見つめていました。

山崎武司が語る「楽天初優勝と野村野球の遺産」

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2008年11月10日

西武優勝

低迷していたチームを立て直し、就任1年目で優勝なんてすごいです。
それも主力選手がFAで抜け、若い選手を育ててなのだから価値があります。
6戦の岸くんの中継ぎ・7戦の先発陣の継投は見ていて興奮しました。
巨人を応援している私ですが、今回の日本シリーズは西武に熱い視線を送ってしまいました。。

野球 表彰選手
最高殊勲選手 岸孝之投手(西武)
敢闘選手 ラミレス外野手(巨人)
優秀選手 平尾博嗣内野手、中島裕之内野手(以上西武)鈴木尚広外野手(巨人)

Bクラスから日本一!「選手信じ」渡辺監督9度舞った…日本S第7戦
 喜びをかみしめるように渡辺監督はゆっくりと歓喜の輪の中に歩んでいった。「オレたちが一番だ!」野太い声を張り上げると、選手たちも人さし指を突き上げた。誰の目にも涙はない。昨年5位のどん底から一気に頂点に駆け上がった男たちの顔には、王者らしいほほ笑みがあった。「やれるだけ上げようぜ!」という声に乗って、99番の大きな背中は9度、宙を舞った。

「選手を信じて任せる」シーズン中から貫いた信念は土壇場でも揺るがなかった。1点を追う8回。先頭の片岡が死球で出塁すると、初球から迷いなく二盗を決めた。「あれは本人の判断。普段通りのことをしただけ。『待て』をかけたら勢いは止まっていた」栗山の犠打で三塁へ進むと、今度は中島の三ゴロで本塁へ突入した。「あの回に逆転したいと思っていた」指揮官の思いは平尾の決勝適時打となった。

 新人監督の日本一達成は8人目だが、前年BクラスからのVはプロ野球史上初。43歳、12球団最年少にして唯一の投手出身監督らしいマジックもさえた。王手をかけられた第6戦で3日前に完封勝利を挙げたばかりの岸を2番手に送り込んで逆王手をかけると、この日も先発型の石井一、涌井をつぎ込んだ。昨年の監督就任時、西武を戦力外となった後、ヤクルト時代に野球を教わった楽天・野村監督から「投手出身の監督は野球を知らない」と挑発された。「きちんと言葉で理論を説明できる野村監督と出会って初めて指導者になりたいと意識した」それから10年。恩師も舌を巻く采配で栄光をつかんだ。

 「ミスを責めない」というポリシーは現役時代の経験から生まれた。1989年10月12日、西武球場での近鉄とのダブルヘッダー第1試合。強打者ブライアントに直球勝負で挑み、バックスクリーンへ決勝の特大ホームランを打たれた。「ベンチ裏に森監督がすっ飛んできて『何でフォークを投げなかったんだ!』って怒ってね。その瞬間、俺もキレてグラブを壁に思いっきり投げつけた」。最も抑えられる確率が高いと信じたから真っ向から勝負した。「結果は使った監督の責任。選手には結果を恐れず、自信を持ってプレーさせることが大事なんだ」今もその壁を見て自分に言い聞かせている。

 遠征には必ず文庫本を携えている。戦国武将の本を読み、指導者のあり方を学んでいる。「織田信長は嫌いだね。部下を大事にした武田信玄には一番学ぶことが多いよ」。「人は城、人は石垣、人は堀」選手たちを信じて力を発揮させ、ほんの1年前までは負け犬だった集団をわずか1年で最強の軍団に鍛え上げた。「渡辺西武王国」の黄金時代が今、幕を開けた。

G打線2安打斬り!究極の継投見せた!
究極の継投だった。シーズン中では絶対にあり得ない。西口―石井一―涌井とつないで、星野を挟んで守護神・グラマンへ。巨大戦力を一刀のもとにぶった斬った。

「本当にいい後輩を持ったよ。僕の(シリーズ)6連敗も阻止してくれたしね」。先陣を切ったのは投手陣のリーダー・西口だ。右内転筋の張りのため、10月4日楽天戦以来の実戦マウンド。初回に1点を失い、2回にも坂本に1発を浴びた。自身シリーズは0勝5敗。6連敗なら史上ワースト記録だ。またか…。しかしここからが“快投ショー”の幕開けだった。

 坂本のアーチ後を西口が3人で抑えると、3回から石井一、5回から涌井がそれぞれ2イニングをピシャリ。6日の第5戦で5失点されていた涌井は「前回のKOが悔しかった。それにきのうの岸君を見て、しっかりやらないといけないと思った。凄く刺激を受けた」。前夜は横浜高、西武の先輩であるレッドソックス・松坂からメールが届いた。「絶対に優勝しろ」――。結束。投手陣は1本の強力な矢となって、巨人打線の心臓部を貫いた。

 8回から2回を締めたグラマンは「この時期は生きるか死ぬかの戦い。でも自分が試合を終わらせたなんて信じられません」と“胴上げ投手”に大感激だ。終わってみれば2回のアーチ後、打者24人相手に1人の走者も許さなかった。日本一達成直後は涙を流していた涌井が会見で言った。「(継投は)監督の勘がさえてたんじゃないですか?」。爆笑。力を出し切った男たちの顔はすがすがしかった。

MVP岸舞った「軽いからって高く上げすぎですよ」
流れを完全に変えた6戦目の救援登板。王手をかけられていたことはもちろん、もう1つ負けられない理由があった。「(7戦目の先発が)西口さんと知っていた。西口さんに投げてもらいたかったから頑張りました」細身の体でキレのあるボールを投げこむことから“西口2世”と呼ばれた右腕は、何とか目標の先輩につなぎたかった。

 その西口から試合前に「お前にMVPを取らせるために投げる」と言われていた。西口から石井一、涌井と先発投手がつないでつかんだ勝利。岸のMVPは先発陣みんなでつかんだものだった。

片岡死球から盗塁、三ゴロで同点激走「期待に応えたかった
「あの場面は、動かないとこっちに流れを持ってこれないと思って、思い切って初球から行きました」プレッシャーを集中力でかき消した。「けん制球がくる気もしなかったので、(マウンド上の越智が)動いたら行っちゃおうと思った」背番号7の足が確実に悲願日本一への流れを手繰り寄せた。

 三塁に進んで中島の三ゴロで同点のホームに滑り込んだ。「ギャンブルスタートでしたけどね」片岡の足があってこその得点だ。今シリーズでは5盗塁を決め、それはすべてノーサインだった。「一度も『待て』のサインはなかったし、監督に好きなようにやらせてもらって、期待に応えたかった」。そのために、巨人投手陣を観察し続け、内海がけん制するときは少しだけ前かがみになるクセを見抜き、左腕から実際に3盗塁を決めた。

ひらめき コメント集
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posted by pinknokonpeito at 16:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球

2008年11月03日

岩隈文句なしの沢村賞

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岩隈選手、沢村賞受賞おめでとうございます。
くじけず頑張った甲斐がありましたね。


岩隈が沢村賞を初受賞 楽天からは初選出
今季の岩隈は28試合に登板し、1985年の佐藤義則(阪急=現オリックス)以来で23年ぶりの21勝(4敗)をマーク。防御率1・87、勝率8割4分(最優秀投手)のタイトルも獲得した。
 
同賞は先発完投型の本格派投手が対象。選考基準は15勝、防御率2・50、200投球回、10完投、150奪三振、登板25試合、勝率6割の7項目。岩隈は完投数(5)以外の6つをクリアした。詳細⇒

沢村賞に楽天の岩隈が初受賞
選考では、日本ハム・ダルビッシュ有投手とのダブル受賞を推す意見もあった。ダルビッシュは北京五輪で約3週間チームを離れながら、12球団最多の10完投をマークし、選考基準の7項目もすべてをクリアした。

 最終的には、5位に低迷したチームにあって、パ・リーグで23年ぶりの21勝を挙げた岩隈の奮闘が高く評価され、単独受賞が決まった。


《選考委員談話》


 土橋委員長「ダルビッシュは北京五輪に出なければ、違った数字になったかもしれないが、岩隈は20勝で防御率、勝率も1位。満場一致で決まった。(ダルビッシュの半分だった岩隈の)完投数については、完投できそうでも、次の登板を考え、野村監督が交代していた」

 堀内委員「ダルビッシュは選考基準すべてをクリアしたが、それがすべてではない。2人(ダブル受賞)ということを提案したが、やはり今年一番の投手、一番働いた投手を選ぼうというのが、選考委員会の総意だった」

 平松委員「ダルビッシュの成績は昨年とほぼ同じ。今年はその上の投手が出てきた。岩隈は楽天の65勝のうち21勝、約3割3分を占めた。受賞者は強いチームから選ばれることが多いが、岩隈は5位のチームで孤軍奮闘した」

 大野委員「岩隈は登板した28試合で21勝した。防御率も1点台。なかなかできない数字を挙げたことを評価した。ダルビッシュも頑張ったし、五輪に出場して、空白の期間もあったが、16勝と21勝の差は非常に大きい」

 村田委員「1試合で3本塁打される投手がいるなか、岩隈は年間を通して3本。与四球も少ない。逃げずにふさわしい成績を残した。ダルビッシュは勝ち星で及ばなかったが、来年、再来年と何度でも受賞できる逸材。期待している」

ひらめきプロフィール
ひらめきココリコ遠藤の野球天国
ひらめき@ぴあ記事
ひらめき“ガラスのエース”とは呼ばせない

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2008年11月02日

エース対決

日本シリーズ第1戦。
新聞のタイトルが全てを物語っています。

2球の制球ミス…上原 援護なし105球
西武、接戦制し先勝 巨人は好機生かせず
西武・片岡、勝利導く美技

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涌井8回1安打 上原に投げ勝った
「CSでダルにシュートで攻められた後、ウチの打線が崩れていた。次の投手のためにも、今日はその時みたいに相手にダメージを与えるような投球をしようと思って内角に厳しくいった」

上原、悔い残る2本目の一発
 伏線は、前の打席の死球だった。上原と鶴岡のバッテリーは中島に対して、第1打席から内角を意識させていた。中島が「ほんま勘違いするわ。軽く回転しただけで入る」と豪語する東京ドームでの対策だった。だが、2打席目の厳しいコースが死球となり、次打席の投球で厳しさを欠く結果を招いた。西山コーチは「前の打席でぶつけたために遠慮があったのだろう。それで外角で勝負するのは仕方ない。ただ、球種を変えてほしかった」と振り返る。

「理想の投球」西武・涌井、エースの仕事
西武黄金時代を築いた森監督は「日本シリーズは第2戦が重要」と語っていた。だが、渡辺監督は「(森監督は)『タヌキさん』だから。実は1戦目を重視していたよ」といたずらっぽく笑う。自身も森監督の下でシリーズ開幕戦に4度先発し、3勝0敗。

わーい(嬉しい顔)戦勝チームの優勝確率は62%、はたして今年はexclamation&question

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2008年10月31日

ドラフト悲喜こもごも

今年もドラフト会議が終わりました。
喜ぶ顔があれば困惑する顔もあり色々です。
でもどちらの道が幸運かなんてわからないのだから、目の前に広がった道を力強く進んで欲しいと思う。

憧れの原監督の下でプロに挑む怪物
「感謝の気持ちでいっぱいです。幸せを感じています」
 巨人は意中の球団だった。城南中学2年のとき、地元・広島の野球教室に原監督が来た。練習する大田を見ながら「いいスイングだね」と言ってくれた。一目ぼれしたのは大田のほうだった。
 地元を離れ、神奈川の東海大相模高へ。原監督の後輩になった。通算65本塁打を量産し、気にかけてもらえる選手へと成長した。

巨人熱望の長野 バレンタイン対面拒否
06年に日本ハムの4巡目指名を拒否した。巨人入りだけを信じ、日大からホンダへ就職し、この日を待っていた。安藤監督は巨人以外のスカウトに「長野の気持ちを分かって欲しい」と遠回しながら指名回避をお願いしていたという。東海大相模の大田がプロ志望届を提出したときには「長野から笑顔が消えた」と振り返った。
 「(会社に残留するか)半々ですね」。巨人への思いは強いが、年齢的にも焦りはあるはず。

息子ら教え子3人が指名 晴れの日
 千葉経大付高(千葉)の松本監督にとっては晴れの日となった。横浜1位で長男の啓二朗(早大)をはじめ、同校から巨人3位の斎藤、楽天4位の井上(青学大)と教え子が指名された。「一人一人の夢がかなって本当にうれしい」と話した。

楽天3組目!楠城、父から“直接指名”
パナソニックの楠城は、ドラフト会場のテーブルにいた父から“直接指名”を受けた。父親は楽天の楠城編成部長補佐。だが「父は父、自分は自分と思ってやってきた。父は関係ない」と親離れ宣言だ。一方の父親は「右の野手が少ないという事情があった。野手の候補が少ない中で球団との思惑が一致した」と仕事上の立場で指名に至った経緯を説明したのに続き、父親としての喜びと期待を口に。「大学では指名がなかったけど、慣れない関西で1人暮らししたり、いろんな意味で成長している。野村監督はいいところを見つけて使ってくれる。厳しいと思うが頑張ってほしい」とエールを送った。チームでは野村監督と克則バッテリーコーチ、広橋2軍外野守備走塁コーチが義父の岩隈に続き“3組目”の父子鷹。「ここ一番で打てる選手になりたい」と活躍を誓った。

角Jrはロッテに!4組の“父子鷹”誕生
ロッテの育成ドラフト3位・角は「(夢を)実現できると信じて待っていた。どういう形であれ指名されてうれしい」と声を弾ませた。元巨人投手として活躍した盈男氏の次男。10月の入団テストで最終選考に残っていたが、横浜市内の自宅でテレビを見て、指名を受けると大粒の涙。そのまま父の運転する車で学校に駆けつけた。

落合竜 スカウト陣押し切り野本指名
中日は落合監督が大田の指名を推したスカウト陣の反対を押し切り、野本を1位指名した。競合覚悟で大田の指名を促していた中田スカウト部長は「清原、福留、松井秀と、これといった打者はすべて指名してきたのに…」と不満を口にした。来季は森野を三塁に戻す見込みで、落合監督は「現状では中堅がいない」と話し「来季のシミュレーションをして出した結論。現場のわがままを通してもらった」と、こちらは上機嫌だった。

わーい(嬉しい顔)チーム事情にあわせて本当に必要な選手をとるのがドラフト会議の意義だと思うのですが、スカウトの言い分って何exclamation&question
そんな事言っていると、巨人みたいになっちゃうよ。。

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posted by pinknokonpeito at 13:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球

2008年10月02日

清原和博 強烈な個性の終焉

語り尽くした キヨ50分会見
杉内投手に感謝したい

セレモニー終了後の記者会見で清原は何度も涙ぐみながら、約50分間、思いを語った

−−フルスイングだった

 「全球、直球できてくれた杉内投手に感謝したい。あのストレートを空振りして、『ああ、終わった』と自分自身で納得することができた」

 ―阪神・金本が駆けつけてくれた。
「シーズンの一番大事な時なのに来てくれた。足が痛いと言えば、治療院を紹介してくれたり(遠征先の)宿舎で治療器を持って待っていてくれた。そういう金本選手に、ボクもほれました」

 ―長渕剛さんは「とんぼ」を熱唱してくれた。
「いつも心が折れそうになる僕を励ましてくれた。『とんぼ』はボクの野球人生を表しているような曲。ボクの魂を鎮める『とんぼ』を心の底から歌っていただいて、僕の野球人生が終わった」

 ―2人の息子さんからも花束をもらった。
「ボクがケガで野球ができない時は、一切野球をしたがらなかったのに、ユニホームを着るようになると、やたらとキャッチボールをせがむようになった。悔いが残るとすれば、息子たちに、もう1本、ホームランを見せてあげたかった」

 ―打撃タイトルと無縁だった。
「プロ野球の歴史の中で一番三振したバッター、一番デッドボールを受け、一番サヨナラホームランを打ったバッター。もちろんタイトルは取りたかったけど、8度も日本一を経験させて頂いたし、それ以上求めたらバチが当たります」

 −−23年の思い出は

 「ライオンズでは日本一を何度も経験させてもらい、いい思いばかり。ジャイアンツでは本当に苦しい思いばかり。でも、ジャイアンツファンの大声援が、僕を癒してくれた。仰木監督がこの大阪、オリックスへ連れてきてくれなければ、僕の野球人生はうらみしか残らなかった。仰木さんに誘っていただいて、オリックスでこのユニホームで引退できることがうれしかった。あまり大阪で活躍できなかったが、ファンの声援を聞いたときだけ、どんな痛み止めの注射よりもひざの痛みが消えた。だから、温かい声援をくれた大阪のみなさん、オリックスファンのみなさん、そして在籍した全球団のみなさんに感謝したい」

 −−印象に残る本塁打は

 「不安の中で始まったプロ生活。525本打ったが、やはり1本目を一番覚えている」

 −−対戦した投手の中で、一番と思える投手は

 ケガをする前、松坂君と最後にスカイマークスタジアムで対戦したんですが、4打数4三振。すべて直球で、バットに1球もかすらなかった。

 −−桑田投手という存在は

 アメリカという遠く離れたところにいても、ジャイアンツにいたときより心は近く感じた。桑田が今年引退して、自分の心がそこまで桑田に依存していたのかと知らされた。3日間休みましたもの。それだけぽっかり心に穴があいた。同じ年にやめることにも、運命を感じます。今日もぼくの前には来なかったけれど、球場に来てくれて、自分の最後の姿を見てもらうことができた。

 −−会えば何と声をかけるのか

 清原 やっとお前と同じ心境になれたよ、と。そう言いたい。

 −−花道は飾れたか

 「昨年、本当は引退しようと思ったが、少しでも大阪、オリックスに恩返しをしたいとひざの手術をした。手術を受ける時、ボクも最後まで闘い抜こうと決めた。辞める年にチームがクライマックスシリーズ(CS)にいけるのは本当にうれしい」

 −−CSを辞退した

 「自分自身、戦力になっていないと感じた。僕がベンチに座るより、将来ある選手に厳しい戦いを知ってもらいたい」

 ―今後、指導者として野球界に戻る日は?
「そういう夢はありますけど、とにかく今は、23年間酷使してきた体を休めてあげたい」
(会見を終えて立ち上がり、報道陣に)
「多々無礼があったと思う。ボク自身、弱い人間と自覚していた。だから、自分を守ろうと、そういう態度をとってしまった。良いことも悪いこともこれほど取り上げていただいた幸せな野球選手はいないと思う」

数字で見る清原は「希代の大打者」
歴代5位の通算525本塁打、6位の1530打点は現役最高。通算打率は・272ながら、日本プロ野球史上、清原以外に2000安打、500本塁打、1500打点を達成したのは王貞治(巨人)、野村克也(西武)、門田博光(ダイエー)、落合博満(日本ハム)、張本勲(ロッテ)の5人だけ。清原が球史に残る大打者だったことは間違いない。

 しかし不思議とタイトルには恵まれず「無冠の帝王」と呼ばれた。1992年には1打点差、96年には1本差で、それぞれ打点王、本塁打王を逃した。自己最高の121打点を挙げた巨人時代の2001年も、127打点のペタジーニ(当時ヤクルト)にタイトルをさらわれた。個人の成績より進塁打などチーム打撃を優先し、勝利にこだわった結果とも言われる。

 その証拠に、勝利にこだわる必要のないオールスターの成績は抜群だ。43試合に出場してMVP受賞7度は最多。通算打率・365(100打席以上)、打点34とも1位、通算本塁打13は2位と爆発。まさに「お祭り男」でもあった。

 通算三振数1955、通算死球数196の日本記録保持者でもある。フルスイングの真っ向勝負を貫いた証しだ。そうした姿勢こそが野茂英雄(当時近鉄)、伊良部秀輝(同ロッテ)らとの後々まで語られる名勝負を生み、ファンに強烈な印象を与えた理由だろう。

■清原の主な通算成績
部 門  成 績        歴代1位    
試 合 2337 (11) 野 村(武)3017
安 打 2121 (23) 張 本(ロ)3085
得 点 1280  (9)  王 (巨)1967
本塁打  525  (5)  王 (巨) 868
塁 打 4064 (10)  王 (巨)5862
打 点 1529  (6)  王 (巨)2170
四 球 1346  (3)  王 (巨)2390
死 球  196  (1)  [竹之内=神= 166]
三 振 1953  (1)  [秋 山=ダ=1712]
( )内数字は歴代順位、歴代1位の欄の[ ]は歴代2位の選手と成績

森・元西武監督が清原を「野球に純粋」
とにかく野球に純粋な男だったと思う。西武で何年間も連続して優勝したチームの4番を務めてくれたことこそが、立派な「タイトル」だと思いますね。「長い間、ごくろうさん」と言ってあげたい。
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2008年10月01日

清原引退

清原和博が今日引退する。
彼は私にとって野球そのものだった。

甲子園での活躍。
桑田とのK・Kコンビに胸躍らせた。

ドラフト会議。
社会の醜さに押し流される彼らが可哀相に思えた。

涙の日本シリーズ。映画
試合中、先輩に励まされながら涙をふく清原にもらい泣きをした。

巨人への移籍。
裏切られても憧れる哀しい野球少年の姿を見た。

清原はレジェンドだ。
歩いた野球人生もそうだけど、こんなに4番が似合う男はいないだろう。
何もかも型破りな男は、今夜無冠のままバットを置く。

イチロー、番長引退試合に電撃参戦!
「行こうか、手伝いに」。野球界に数々の偉業を残した先輩へ、最後にお礼がいいたかった。

「聞いていない。そりゃ、すごいね。律義な人だよ。迎える側も盛り上げたい。ありがたいよ」
イチローの来場を聞いたオリックス・中村球団本部長は目を丸くした。歌手の長渕剛も「とんぼ」を熱唱する。阪神・金本も花束を贈呈する。格闘家の秋山成勲も駆けつける。そして相手ベンチには「世界の王」が見守る。史上最高の応援団。引退セレモニーとしては空前の豪華なイベントになる。

生で「とんぼ」歌う! 長渕、10・1清原引退試合に参戦
「片足を球団に捧げて去っていく、こんな奴がいるか?だから俺は、奴のために歌いにいくんだ」。当日は清原の依頼に応え、「とんぼ」をドーム内に叩き付け、“魂の盟友”最後の瞬間をさらに輝かせる。

長渕が清原の決意を聞いたのは、8月の引退表明より1カ月も前だった。「報告があります」。神戸から都内の長渕宅を訪れた清原との間に、しばし無言の時間が流れた。

「最後は、剛さんからいただいたギターで、『とんぼ』を、歌ってもらえませんか」
もちろん、即諾だ。試合終了後のセレモニーで、清原が血脈に注いできた自分への応援歌、「とんぼ」を絶唱する。

「和博には、存在そのものに華があるよ。なのに、イジメられすぎた感がするんだよな。最後も、自分の片足を切り落として、球団にささげて終わるんだぜ。俺はたまんないよ。さぞ苦しかったろうに。お疲れ様とか、軽々しく言えるレべルのものじゃねえよ」

清原の一軍復帰以来、「死に場所を与えてほしい」と、盟友の先発出場を熱望してきた長渕。だが、清原は左すねの蜂窩織(ほうかしき)炎でダウン。今後の出場が危うくなった。悲嘆にくれているであろう友を、思いやる気持ちがあふれた。

「俺たちはさ、奴の心にあふれる、野球一途の純情に、ただただ敬服すべきだと思うよ。傷つき、壊れても、なお突っ立った一匹の侍。豪快に打ち、豪快に笑い、豪快に傷ついた。こんなスターがほかにいるかよ」

引退試合は観戦に行くのではなく、「参戦だ」という。当日は声の限りに“清原賛歌”を歌い上げ、球団に、観客に、そして日本全国に訴える。「和博の存在自体が、球界に大事なんだろ!」と。

「共に戦ってきた証人として、ギターを持って参戦だよ。気高く旅立つ男の花道に、心から『ありがとう』を込めて歌いたいね」
ドームに響きわたるであろう、長渕入魂の絶唱。清原とファンの胸に万感の思いが共有される、球史に残る名場面が生まれるに違いない。

金本、花束贈呈も? 10・1清原引退試合
お疲れさまでした−。スーツで正装した金本が万感の思いを込めて、23年の現役生活に別れを告げる清原に花束を贈る。記録にも記憶にも残る大選手を送り出すため、阪神が全面協力の姿勢を打ち出した。

「金本が花束のプレゼンター? ルール的に問題はない。(清原は)球界の功労者だし、オリックス側から正式な話があれば、まったくやぶさかではないですよ」

引退セレモニーでは自軍や対戦チームの選手による花束贈呈が一般的。ゲストで来場した他球団の選手が行うのは異例中の異例だが、阪神サイドの声に呼応するかのように、オリックス側は「2人の関係は特別。花道を飾ってくれるならばありがたい」と語った。これで前代未聞の“越境参加”に向けて、障害はなくなった。

高校時代からのあこがれでアニキが『兄貴』と慕う。それが清原。06年5月21日の交流戦(甲子園)では先輩が通算1500打点を達成すると左翼から駆け寄り、花束を手渡した。「札束じゃなくてスミマセン」とジョークで笑わせた。

清原涙、西武D最終戦で胴上げセレモニー
今季限りで引退を表明しているオリックス清原和博内野手(41)が泣いた。西武渡辺監督から花束を贈られ、肩を抱かれると涙が止まらなくなった。「お前なら何でもできる。何やっても生きていける」と耳元で言葉をかけられ、「ナベさん」と慕ってきた兄貴分の胸でうなずくのがやっとだった。古巣西武との最終戦後のサプライズセレモニー。西武ナインの手で4度宙を舞って、背番号3を引き継ぐ中島とユニホームを交換した。

清原 ラスト前が西武球場で運命的なものを感じました。一番かわいがってもらった先輩に送り出してもらって。夢を追いかけ巨人に行ったけど、西武ファンの方は帰ってくるたび温かい声援をくれた。ジーンと来ました。

球場全体の清原コールを受け、「とんぼ」のBGMが流れる中、一塁ベースを踏んで右翼席まで歩きファンに何度も頭を下げた。そして打席に立ち、また頭を下げた。「525本の本塁打の半分以上がライオンズのユニホームを着て打ったものだから」。

清原4番DHフルスイングで現役生活別れ
 清原 戦力として見られていない以上、ここが引き際だと思いました。この状態でCSに行っても監督は采配を迷うでしょうから…。

左ひざの軟骨移植手術を乗り越え、8月3日に1軍復帰したが、21試合すべて代打出場。快進撃の陰で勝利に貢献できないもどかしさに苦悩した。やれる自信はあっても、首脳陣の評価は代打要員。一流選手だれもがやめる際に感じる寂しさを感じていた。

 清原 こんな花道をつくってくれた。それだけでも感謝でいっぱいです。

ローズ、北川らチームメートからは「最後までキヨさんと戦いたい」と何度も引き留められた。巨人時代から苦楽をともにするローズからは「ベンチに座ってるだけでいいから一緒に出てください」と涙まじりに訴えられた。だが清原は引退を決意した時点で本拠地最終戦を引き際と決めていた。「グラウンドに立って勝負するために、手術を受けたんだから」。もうベンチで若手を鼓舞したりする役目は終わった。

 清原 タフィー(ローズ)とかの気持ちは、心からうれしかったよ。でもオレが出ないことで1つ席(選手枠)が空く。まだ発展途上のチームだし、若い選手に経験を積んでもらえたらそれでいい。グラウンドに立たないけど日本一になれることを祈ってるよ。

 清原 生まれ育った大阪で終われるのは幸せや。最後はひざが壊れてもいいぐらいのフルスイングで、ホームランを狙うよ。清原和博の最後の姿を心に焼きつけてください。

清原和博の“真実” 〜親友・大塚光二が語る〜
個人タイトルを狙っても良かったんだけど、キヨはあくまでもチームの勝利のためだけに打席に入っていた、真の4番バッターだったと思います。

キヨは相手のエースからは打っていましたけど、相手投手の力が落ちたり、試合が決まった状況になると意外と打たなかったんですよ。
その後、キヨが巨人に移籍したときに松井秀喜とそのことについて話したらしいんですね。そこで松井は5打席目、6打席目も「巨人の4番」として見られている、試合が決まろうが決まるまいがファンが見ているから、そこで集中力を持って4番の仕事をするんだと言ったそうです。ここは松井のすごくいいところだと思いますね。キヨの場合は勝敗を背負うことだけに集中していた。小久保(裕紀・福岡ソフトバンク)も同じようなことを言ってたんですが、4番打者はチームの勝敗を背負わなくてはならないという考え方でした。

そしてキヨと勝負すると明らかに相手投手の球速も上がるんですけど、その中で真っ向勝負をして、それに応えられる選手だったなと。受け止めることができる、器が大きい4番バッターだったなと思います。

キヨの言葉が支え…85年最後の夏V
甲子園で準々、準決勝となれば連投、連投で、マウンドに立っているだけで意識が朦朧(もうろう)としてくる。そんな時、最後の最後に僕を支えてくれたのがマウンドでのキヨの言葉だった。「桑田、おれ絶対打つから。しんどいのは分かってる。でもおれ、お前のために絶対打つから」――。

23年目の原点。清原和博の真髄とは。
復帰1戦目の打席は空振り三振に終わったが大きな拍手が起きた。「頭の中が真っ白になった」と言ったが、その言葉を聞くのは2度目であった。

1度目は巨人と初めて日本シリーズを行った'87年の最後の守りについた時。大粒の涙を流し始めた時のことである。

その理由を直接聞くと「ツーアウトになって、王監督が三塁ベンチで天を仰いだ。一塁だから正面に見えるのや。それを見た時、巨人に勝ったと思ったら頭がまっ白になった」と説明した後、「恥ずかしいから書かんといてな」と照れくさそうに付け加えた。

あれから21年。プロ最後の打席と覚悟を決めた時、頭がまっ白になったと再び言った。
一塁ベンチから打席に向う時、三塁ベンチで指揮するソフトバンク・王貞治監督に会釈している。この時、拍手で王は清原をたたえた。その姿に21年前を思い出して、頭がまっ白になったのではないだろうか。

清原号泣、巨人倒して日本一
西武が巨人を4勝2敗で破り、2年連続4度目の日本一に輝いた。清原は宿敵巨人を倒し号泣した。
清原は泣いていた。9回表、最後の守り。吉村の遊ゴロをさばいた清家からの送球を受けた清原の号泣する姿を見て、二塁から先輩の辻がビックリしてスッ飛んできた。

「オイ、しっかり目をあけんかい!」。辻に両肩をたたかれてハッパをかけられても、あふれ出る涙を止めることができなかった。その姿に胸を打たれた伊東、秋山がもらい泣きした。ベンチではクールでなる東尾までが涙を流した。清原は涙でかすんだ目で、ウイニングボールを秋山がキャッチするのを見届けると、「ウオー」とおえつをもらしながらマウンド上の歓喜の胴上げに加わっていた。
 「自然にこみあげてきたんです。9回表、最後の守りについた時、足がガタガタ震えてきて、涙が出てきました」。昨年の日本シリーズ、19歳の4番として出場し、広島を破って日本一を達成した時も涙は出なかった。
 しかし、今年は泣いた。プロのユニホームを着てから流す初めての感涙。涙の理由はただ一つ。巨人を破ったからだ。「巨人を倒すことが、僕がプロに入った一つの目標でしたから。それを達成できて、すごくうれしい!」。試合後の共同記者会見で、ちょっぴり赤く、まだ潤んだ目で悲願達成に喜びをあらわにした。
 「巨人を倒すんや!」。60年11月20日ドラフトで指名確実といわれた巨人が自分を指名せず、よりによってPL学園の同僚の桑田を指名。悔し涙にくれた。そして西武に入団。「王さんに”あの時(ドラフトで)清原をとっておけばよかった”と言わせたい」。その一念が清原の支えだった。そのドラフトから712日目の清原の夢がかなったわけだ。

 桑田はライバル清原のはしゃぎぶりを、そして西武森監督の胴上げをジッとベンチで見つめていた。悔しいけれど、見届けなくてはならない。来期の雪辱のために悔しいシーンを目に焼きつけた。そして西武の表彰選手に拍手を送った。「勉強になりました」。工藤のインタビューを見ながら桑田はポツリ。第1戦と第5戦に先発したが連続KO。この日も一度、ブルペンで肩をつくりラストチャンスを待ったが、そのまま終わった。
 清原とのKK対決は3度。2打数1安打1四球と引き分け。清原は「桑田との対決はいろいろ騒がれたけど僕は9分の1としか思っていなかった。こんなもんだったかなって感じです」と話した。一方の桑田は「キヨは泣いていたんですか。2年連続で優勝するなんて、やっぱりアイツと西武はすごいね」。悔しい思いを胸に「来年こそは…」と雪辱を誓ってバスに乗り込んだ。

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2008年08月25日

桜は咲かず

北京で季節外れの桜を咲かせましょう。
星野監督から届いた手紙を「カッコイイでしょう」「感動しました」と嬉しそうに話していた西岡選手。
はちきれそうな笑顔で金メダルをとって監督を男にすると宣言していただけに、負けた後の悔しげな顔が忘れられません。

それにしても一番悔しい思いをしている選手や監督が、心無い質問や罵声に申し訳ありませんと涙をこらえながら謝る姿はおかしいのでは?
メダルを期待するのは仕方ないけど、オリンピックという晴れの舞台が、選手にとって苦痛や悲しみの場所になるのでは夢がない。

なぜ負けたのか。
必ず出る批判や敗因分析ですが、それが次ぎの大会に役立てられているかといえばそうではないようなので、大会資料やデータが次の日本代表に渡るように改善するべきでしょう。

「勝ったものが強い」星野監督ら帰国会見
星野監督は「強いものが勝つのではなく、勝ったものが強いという五輪の難しさをしみじみと感じた」と今大会を振り返った。メダルなしに終わった「敗因」については、1次リーグ第1戦のキューバ戦(13日)で「打者がストライクゾーンに不信感、怖さを感じたことがポイントだった」と話した。

また上原は、「韓国は(国内の公式戦でも)ボールを(国際試合球に)変えるというふうに国全体で動いた。日本は遅れている」と、球界が一丸となった取り組みを求めた。

ひらめき日本選手団長 野球、サッカー男子を批判
プロ選手をそろえながらメダルを逃した野球やサッカー男子などの団体球技について「強い選手を五輪直前に集めてちょっと練習すれば勝てるなんて甘いものではない。1年以上前から五輪チームを組織し、合宿をして連帯感を持たないと勝てない」と批判した。

また、野球とマラソンが選手村に滞在しなかったことに、福田団長は「選手は原則的に選手村に入らなければ駄目。競技団体が特別扱いしている。大いに問題がある」と述べた。マラソンで男女1人ずつ欠場者が出て補欠も出場できなかったことには「北京に入ってから(故障者の)情報を聞いた。補欠の手続きも間に合わない」と日本陸連の情報伝達に苦言を呈した。

星野ジャパン屈辱4位 監督、恨み節連発
チームとしての調整期間が短かった。
8月1日に招集、2日に開始の日程で始まった川崎のジャイアンツ球場での直前強化合宿。練習は実質、5日間しか行われなかった。しかも、5日は雷雨で巨人2軍との練習試合が中止になり、室内練習場での調整となった。

昨年のアジア予選(台湾)の時と比べると差は歴然。神戸で9日間の自主トレ合宿、宮崎で8日間の直前合宿を張っていた。今回は半分以下で、しかも、外出は自由。グラウンド内だけでなく、グラウンド外でも、個々の力以上に大きな力となるチームワークを醸成する環境ではなかった。北京への出発前、「宮崎や神戸でやった方が一つにまとまった気がするな」と気がついた時は、もう遅かった。

そんな日本とは対照的、キューバは5月下旬に1次候補合宿を始め、7月のハーレム国際大会(オランダ)参加、北京入り前には韓国キャンプと用意周到に準備を進めていた。

韓国は8月1日が招集日だったが、北京への出発前、韓国でキャンプをしていたキューバ、オランダと計3試合の練習試合を行い、国際試合への慣らし運転をしていた。米国も球宴前日の7月14日に「フューチャーズ・ゲーム」に代表チームが参加、米国籍以外のマイナー選手の選抜チームと対戦していた。セ、パ両リーグと自国内で強化試合をしただけの日本とは、この点でも違っていた。

「ちゃんと調整したところが勝てている」。敗戦後、星野監督は語った。さらに、キューバ戦で明らかに狭いストライクゾーンを示されたことで、「投手も野手もこわごわとなった」。準備不足や戸惑いが充満した星野ジャパン。狂った歯車が戻ることはなかった。

「プロ感覚」抜けず…審判も敵に回していた
プロ野球選手は整った環境下で、年に140回ほども同じ相手と繰り返し戦う。だが五輪は違う。異なる野球文化で知らない相手と戦わねばならない。自分の庭でいかに秀逸な技能を誇っても、それを五輪でも発揮できるかとなると話は別だ。

その点、アマは国際大会に慣れており、審判も含めて対戦相手の全容をよく把握していた。
具体例を挙げれば、初戦のキューバ戦で星野監督が審判に猛抗議したシーン。国際大会に慣れている者には、考えられない行動だった。審判団は試合後に反省ミーティングを開く。「日本はいったいなんなんだ!!」となったのは必至で、ストライクゾーンなど日本へのジャッジが最後まで辛めだったことは、決して偶然ではないだろう。

捕手のキャッチングひとつ取ってもそう。ゾーンぎりぎりの捕球時、プロの捕手たちは微妙に手首を内側に返してゾーン修正していたが、何気ないこの行為も、国際大会では審判の技能をばかにしたことになり、10人目の敵を作ることになる。
キューバ戦敗戦の翌朝、日本から田淵に電話して「星野に恥をかかせるな」と猛ハッパをかけたが、ベンチワークは最後まで改善されなかった。(松永怜一)

ノリ「五輪戦士よ落ち込むな」 2度経験…だから分かる
中村紀は00年シドニー、04年アテネ五輪に出場。常に重圧を背負って戦った。「(いつも)試合が終わったら、何もする気がなくなるんですよ。バスの中でグッタリとして」。試合のたびに体力、気力を使い果たす。2度も経験したからこそ、北京で戦った選手たちへの思いは強い。

 選手たちは心身ともに疲れ、日本に帰ってくるが、すぐにチームに戻ってシーズン終盤を戦うことになる。「試合に入っていくには、選手それぞれのモチベーションが大事だと思います。(前回は)ぼくはスッと入っていくことができた」。アテネでは銅。最低限の責任を果たしたことで、気持ちを切り替えられた。が、今回はメダルに手が届かなかった。中村紀もそれを心配している。

 五輪前、中村紀は五輪では守り勝つことが大事であると話していた。今回、テレビ観戦で日本代表を応援しながら、そのことを実感した。「短期決戦はちょっとしたことで流れが変わってしまう。オリンピックは本当にそうでした」と自らの経験も交えて、一発勝負の怖さを話した。

“EE佐藤”に心のリハビリ休暇…帰国に西武球団社長が出迎え
メダルをかけた舞台で、2試合連続の落球。失点につながり、指揮官は「心配だね。肉体より精神的にまいってるんじゃないか」と予想した。

代表に選ばれる直前の不安が的中した。「ナカジ(中島)は天然系だから、ああいう場所でも大丈夫そうだけど、GGは変にプレッシャーを感じてガチガチになりそうだ」西武では右翼が定位置。今季の失策は1だが、北京では左翼で致命的なミスを連発した。

打率・309、21本塁打、62打点。強打者の不在はチームの浮沈に影響しかねない。岡村守備走塁コーチは「左翼うんぬんより重圧が相当あったんだろうね。みんなで元気づけて元のGGに戻すしかない」とフォロー。旭川入りした小林信次球団社長は「明日迎えに行きます」と急きょ成田空港へ向かうことを決めた。マジック26が点灯し、ラストスパートに出る西武が、思わぬ難題に直面した。

荒木、代表初アーチ 闘将に恩返しできず「悔しい」
「悔しいです。見ても分かるでしょ」。唇を震わせた試合後。その数時間前、誰よりも早くベンチを盛り上げた。1回1死、1ボールからの2球目だ。真ん中直球を振り抜いた打球はグングン伸びて左翼スタンドの最前部へ。当然ながら代表初アーチ、全速力でダイヤモンドを駆け抜けた。

闘将に恩返しがしたかった。まだ芽も出ていない入団2年目、荒木のグラブとバットをいちべつした当時中日の星野監督が、こう言った。「おまえ、自分で道具を買ってくるのか?」。用具提供など、まだメーカーはしてくれない。精いっぱいこだわって買いそろえたつもりの道具が、みすぼらしく映ったようだ。その数日後、用具メーカーの担当者がやってきて、グラブとバットを置いていってくれた。

「あれから提供を受けられるようになった」というバットで先制弾を放ち、グラブでも2回にジャンピングキャッチでピンチを防いだ。内外野ができる“ユーティリティープレーヤー”として参加したはずの今大会は、終わってみれば8試合に出場、6試合で先発出場して打率2割6分3厘。5犠打に2盗塁と役割も果たした。

青木の3ランも空砲に…「こんなはずじゃ」
「あらためて国際試合の難しさを知ったような気がする。今は悔しくて考えられない…」。予選リーグは1番でスタートし、その後は2、3番とそれぞれ3試合ずつ。打順が固定されない中で、一時は14打席無安打の不振もあったが、最終的には打率・294と持ち味を見せつけた。「金メダルを目指して一直線に進んできた。こんなはずじゃなかった、という思いがある」と青木。「いい経験はしたけど、国際試合は勝たなきゃ意味がない。野球のおもしろさと、怖さを知った」と唇をかんだ。

ローテ崩壊…和田「北京で得たものは何もない」
「4年前のリベンジをと思ったけど。今は悔しさ、申し訳なさ、情けなさでいっぱいです」

3回途中4失点降板。荒木、青木の2発による4点を守りきれなかった。キューバのブランコ球審の狭いストライクゾーンに苦しみ、際どいコースはすべてボールの判定。生命線のコーナーワークを殺され、力勝負を余儀なくされて2発を浴びた。「厳しいところは全部ボールにされた。でも、言いだしたらきりがない」。投手総動員態勢から指名された川上も、同じように力勝負で長打を浴びた。「すべて全力でやった結果です。五輪だけを目標にやってきたのに」とうなだれた。

判定だけではない。米国代表は北京五輪公認ではないローリングス社製のロジンバックを持参。公認のミズノ社製よりも粘り気のあるタイプで、変化球を有効に使っていたが、あえて抗議しなかった。アテネを経験している大野投手コーチは「ストライクゾーンも含め、すべてに対応しないと勝てない」。さらに「大会通じてここぞの1イニングをしのげなかった。リリーフ専門を入れておけばというのはある」と選手選考の反省を口にした。

先発7人と抑え3人の変則構成。本来先発の川上が3連投、5試合目となるリリーフで喫した初失点が、この日の決勝点だった。ダルビッシュの不振でローテーションが大幅に狂い、予選リーグチーム防御率1・60の投手陣が準決勝と3位決定戦で計14失点。「北京で得たものは何もない」。和田の言葉が北京の夏空にむなしく響いていった。

「運命かな」最後の打者はいつも阿部
9回2死二、三塁で一ゴロに倒れ、前日の準決勝に続いて最後の打者となった阿部は「悔しい。世界にはこういう野球もあるのかと勉強しました。これ(経験)を今後の野球人生につなげたい」。中大時代の00年シドニーでも韓国との3位決定戦9回2死から代打で登場し二ゴロ。「こういう運命なのかな。シドニーも最後も僕で終わったし…」。2度の五輪出場がともにメダルなしとあって悔しさを隠しきれなかった。

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2008年08月23日

屈辱の涙

涙をぬぐうG・G佐藤

金メダルをとって欲しいと思っていたけど、それは金メダルを手にして喜ぶ選手の姿が見たいからであって、一流の選手が負けることに怯えて動けなくなる、そんな試合が見たかったわけではない。

オリンピックにしてもWBCにしても、日の丸のプレッシャーがすごくて選手が萎縮して本来のプレーが出来ないのが残念です。
勝つ事が全ての勝負の世界だけど、もう少しのびのびとプレーできたらと思います。

星野ジャパン、韓国に逆転負け金獲得ならず
唇をかみ、涙がほおを伝う…。日の丸戦士が、屈辱にまみれた。九回二死。阿部のライナーが韓国の右翼手・李容圭のグラブに収まった瞬間、金メダルへの道は断たれた。

「八回が2点どまりであれば…。申し訳ないなと思っています。すべては、オレの責任」
岩瀬起用には、会見で韓国メディアからも疑問の声が挙がった。指揮官は短く答えた。「それが、私のやり方です」

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2008年08月21日

タイブレーク

0−0の試合がタイブレークに突入した途端、走者を背負いあっという間に点数を取られ負けてしまいました。
百戦錬磨の岩瀬の炎上が不思議なら、浮き足立って動けない首脳陣も不思議で、タイブレークとはそんなに影響があるものなんでしょうか。。

ひらめき 五輪野球は延長11回でタイブレーク
新規則では延長10回は通常通りだが、11回はどの打順からでも攻撃を始めてよく、打者の直前の打順の2人が走者となる。例えば、3番打者からの攻撃を選べば、1番打者が二塁走者、2番打者が一塁走者という場面からの攻撃となる。12回以降は、その続きの打順で進行するが、11回と同様の方式で2人の走者を置く。

ひらめき 「タイブレーク」で必要なこと
無死一、二塁という状況はプロ野球選手だったら何度も経験しているんですけど、今回は「つくられた」無死一、二塁でした。だから岩瀬も守備陣も“流れ”とか“間”を感じることができないまま入ってしまいました。これが今回は大きかったですね。タイブレークでポイントになるのは先頭打者への初球の入り方です。バントしてくるのか、打ってくるのか……難しいところですけど、チームとして様子を見るのか、勝負をするのかをしっかり決めてから初球を投げることが必要だと思います。

星野JAPAN4位通過、“韓勝”で決勝行くぞ!
百戦錬磨の岩瀬の目が泳いだ。延長11回無死一、二塁。初体験のタイブレークで、出はなをくじかれた。バーデン、シアホルツがともに初球を狙い打ち。わずか2球で2点を失った。「何番の打者から始まるか、分からなかった。最初は4番と言われていたので…」プロ10年間で184セーブを挙げた左腕が戸惑いのマウンドで大炎上。外野の返球ミスなども重なり、一瞬で4点を失った。

岩瀬「ルールだから仕方がない」
岩瀬が初体験のタイブレークに戸惑った。11回表。米国の打順がうまく日本サイドに伝わらなかったことを明かし「最初に言われていた選手とは違う打者が出てきて少し混乱した」と振り返った。初球を痛打され、ズルズルと4失点。タイブレークの感想を聞かれると「やりやすくはないですけど、ルールだから仕方がないですね」と淡々と話した。

ダル2回完全!!圧巻の“決戦試運転”
悠々とマウンドを降りたエースは「自分の中でしっかり調整できた」と納得の表情を浮かべた。

「自分の考えていることに体がついてこなかった。イメージとあってなかった」とKOされたキューバ戦を振り返った若き右腕。心の中に浮かんでくる悔しさ、ふがいなさをすべて払しょくするため、自慢の長髪を丸刈りにした。

練習では和田が実践しているなんば走りや投球術を教えてもらうため、ライバル球団の左腕に頭を下げた。大野投手コーチには付きっきりで指導を受けた。リベンジへの強い思いが、この日の好投につながった。

マー君5回零封!「自分の投球できた」
15日のオランダ戦は1回無失点も2四球。「こんな投球じゃ大事なところで投げさせてもらえない」。そう吐き捨てたのには理由があった。当日は頭を丸刈りにして球場へ。兄貴分のダルビッシュに命じられたと説明していたが、実はミーティングに遅刻したための“罰”だった。汚名返上。この日は打者17人で3ボールはわずかに2度。意地の無四球で首脳陣に猛アピール。

6回、3アウトになりながら次打者に1球投げてしまった珍プレーには「あれ?と思ったんですけど、あんまり気にせず投げちゃいました」

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2008年08月19日

カナダに勝利!

負けるかも。
逆転されるかも。
そんな恐怖との戦いでした。
負けられない試合というのは、何て怖ろしくて素晴らしいのでしょう。

星野ジャパン、カナダに辛勝!
 「オレを殺す気か!! ホンマに…。カナダにとって負けられない一戦? ウチだって負けられなかった」

「1つ勝つことがこれほど苦しいとは…。何十年と経験をしているが、国際試合とはこういうことなのかなと。選手が頑張ってくれました」

宿舎で心を静めたいとき、壁にかかったユニホームを見る。77番と日の丸に目をやり「ピッチャー、藤川」とつぶやく。その日によって岩瀬や上原にもなる。「そうすれば何となく心が落ち着くんや」

青空の球児浩治にカナダ打戦もゲロゲ〜ロ
最後の打者ガルシアを4球連続フォークで二ゴロに仕留めた上原は「よかったあ。この1点をみんなで守り切ろう、と。それができた。いい野球だった」。北京の青空の下で笑顔がはじけた。

代表での1点差登板は、昨年12月2日のアジア予選・韓国戦以来。緊張感からか、先頭・スターンの投ゴロを処理する際には足がもつれ「右手と右足が一緒に出た。素人みたいやった」。それでももはや、巨人で不調だった姿はそこにはない。打者3人をパーフェクト。代表では2セーブ目も、藤川とのリレーでマークするのは初。これで国際試合は25戦不敗と“神話”をさらに伸ばした。

≪守りでは代役二遊間いい仕事≫
西岡、川崎の欠場で、前試合に続いて二塁に入った荒木は3回、ライナーをジャンプして好捕。打っても2安打と活躍したが、緊張感からか「最後(の打者の二ゴロ)はボールが握れなくてビックリ。焦りました」と苦笑い。また遊撃・中島も3回1死で痛烈な打球をダイビングキャッチ。「打席を含めてボールがよく見えている」と笑顔だった。

ここ一番で復活!成瀬7回零封無四球10K
「ボクは落ちるところまで落ちたんで、上がるしかないですから」

昨年12月のアジア予選で韓国戦を託された左腕も今季は苦しいシーズンを送ってきた。1日の球宴第2戦(横浜)では2回11安打8失点。止まらない炎上に星野監督から“かっぱえびせん”と揶揄(やゆ)された。

7日の練習ではシート登板前に野手の送球が頭部を直撃した。11日の北京初ブルペンでは、投球中にフリー打撃の打球を足に受ける悲運が続いた。そして13日のキューバ戦では五回無死二、三塁から救援し、2点適時打も浴びた。それでも、指揮官の信頼は不変だった。

「選手のミスはオレのミス。ああいうのは忘れてやるんだ」

第1戦後は「もうちょっと頭で考えろや」とだけ声をかけ、ニヤリ。成瀬は「(あれで)きょうは冷静な自分がいた」と、星野監督の言葉に感謝した。

星野Jカナダを完封…稲葉一発で薄氷勝利
「12月のアジア予選の時も、今回も、代表に決まった時に星野監督から手紙をいただきました。『おれはこのメンバーが最強だと思っている』って。野球人生でそんなことは初めてだったので、自分の部屋に飾ってあります」と話していた稲葉。「なんとしても男にしたいと思える監督」の期待に応える一発だった。

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2008年08月17日

メダルの重さ

ダル&たなか.jpg


日本代表が次々坊主になっています。
その名もハゲリンズです。
ムネリンの命名なので楽しげですが、不甲斐ない自分に対するケジメなんですよね。

マー君ダルに続いた!川崎も阿部も“ハゲリンズ”
星野監督「ダルビッシュに(理由を)グラウンドで聞いたら『ふがいないので切りました』と言っていた。マー君は『道連れにされました』って。かわいいやないか。うれしいやないか。どこかでみんなの必死になっている姿を見て、何かを感じたのだろう」とうなずいていた。

ダル丸刈り、18歳夏以来4年ぶりの決意
初戦のキューバ戦(13日)に先発したが、5回途中で4失点降板。「今までで一番悔しい思いをした。次、やり返す」とリベンジを誓い、行動で決意の固さを表した。

川崎&阿部丸刈り!「ハゲリンズ」結成
阿部、川崎が、前日のダルビッシュ、田中に続いて丸刈り姿で球場に現れた。
照れくさそうに頭をなでた川崎は「“ハゲリンズ”結成ですね」と笑った。五分刈りになった阿部も「若い子たちが次はおれがやられるんじゃないかとビビっている」という。


和田.jpg

和田10Kも 痛恨被弾
和田は思わずベンチにグラブをたたきつけた。悔やみきれない1球。「(本塁打は)コントロールミスです」「自分の責任です」と唇をかんだ。

韓国に逆転負け…星野監督「ボクのミス」
「(責任は)岩瀬じゃない。あれは、ボクのミスだよ。和田がフォアボールを出したところで、(川上)憲伸にスイッチしておけば良かった。本当に後悔している」
「新井がいい仕事しているのに、オレが取っちゃったな」

阿部丸刈りで臨むも九回失策に号泣
阿部が号泣した。九回に自らの失策で5点目を許した。直後の攻撃でも無死二、三塁の好機で左飛に倒れるなど、4打数無安打。泣きじゃくりながら、球場を後にした。

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posted by pinknokonpeito at 23:52 | Comment(0) | TrackBack(1) | 野球

負けたぁ〜

日本代表2敗目です。
大丈夫でしょうか。。

各地域の予選を勝ち上がった日本、米国、キューバ、オランダと世界最終予選を突破した韓国、台湾、カナダ、開催国の中国の8か国が、1回戦総当りの1次リーグを行い、上位4チームが決勝トーナメントに進出。

1次リーグで勝ち数が並んだ場合は、当該チーム同士の勝敗数で上位を決定。
それも並んだ場合は当該チーム間の対戦での失点率(総失点を守備イニングで割った数値)で争われます。


つまり上位4チームに入らなければメダルどころか、決勝トーナメントにも進めないのです。
キューバ・韓国・アメリカが強いのは、何度も戦って知っているのですが、1次リーグの結果を見るとカナダが意外に強いのです。
キューバ・アメリカ・韓国に3敗しているのですが、それが全て1点差負け。
2点差で負けている日本としてはちょっと心配です。。

日本代表も星野監督たち首脳陣も好きだからいい結果を残して欲しいのに、ムネリンをはじめケガ人が多いし、監督は時々投手を引っぱりすぎるし、チームはなんとなく小粒で地味だしとにかく不安だぁ〜。

ひらめき 日程&結果

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posted by pinknokonpeito at 00:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球

2008年04月01日

ヤクルトに呑まれた巨人

おもしろい野球とは、憎らしいほど強いチームが圧倒的強さを見せ付けて勝つ試合だろうか?
それとも弱者が強者を倒す試合だろうか?
それとも戦力が均衡したチームが接戦をものにするゲーム展開だろうか?
日本の野球をおもしろくするには、何をどうしたらいいのだろう。

驕る強者vs必死の弱者
年俸42億の巨人が負けるセ・リーグの面白さ

ヤクルトのチームリーダー・宮本慎也は開幕前、こう語っていた。
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posted by pinknokonpeito at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球

2008年03月28日

さらば背番号18

最後の儀式だった。ロッカー整理を終えた桑田はスーツに着替えると、ゆっくりと誰もいないマウンドに歩み寄った。身をかがめ、そっとボールを置く。背番号18のドラマが静かに幕を閉じた。

上原、桑田引退に「冗談かと…正直ショック」…巨人のしきたり野球界を教わる
上原が1999年に入団した当時、エースは桑田だった。「ジャイアンツのしきたりや野球界のことを教えてもらいました」プロ2年目の2000年、開幕投手となった際は練習中、桑田から「周りを気にせず、自分のペースでやりなさい」と助言をもらった。「(球場の)エレベーターの乗り方から、マナーまで教えてもらった。(桑田の趣味の)ワインは最後まで分かりませんでしたけど」と笑顔で当時を振り返りながら、改めて先輩エースに感謝した。
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posted by pinknokonpeito at 17:27 | Comment(0) | TrackBack(1) | 野球

2007年12月31日

カレーで金!

勝負の中で芽生えた友情が年月を経ても続いている。
それってすごい事ですよね。
何度か3人の対談を見たことがありますが、本当に楽しそうで羨ましくなりました。
妬みや嫉みがないわけではないのに、それすらも超越した関係なんでしょう。

星野ジャパン首脳陣15年ぶりCM共演 ぶっ倒れても『金』!
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posted by pinknokonpeito at 14:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球

2007年12月18日

星野監督の名参謀逝く

9月6日判定に不満の二人.bmp

星野監督と島野コーチ。
中日時代から続く2人の絆に憧れたことがありました。
感動した事がありました。
その星野野球を支えてきた名参謀が亡くなりました。
星野さんの嘆きはどれ程でしょうか。

それにしても何と言う繋がり。
星野監督の見舞い直後に亡くなるなんて。
会えるまで逝くのを待っていたのだろうか。
それとも会えたから安心して逝けたのだろうか。
強いえにしを感じる島野氏の最後でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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posted by pinknokonpeito at 15:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球

2007年12月04日

北京への切符

22.jpg

北京五輪を最後に、野球は五輪種目から消えます。
その最後の戦いの場に立つための切符を手にしました。
8月8日の開会式、13日からの野球競技。
金メダルを目指す戦いが今から楽しみです。

星野監督泣けた「日本の底力見せた」
24人の日の丸戦士に押し出されるように台湾の夜空に3度、舞った。「日本の野球の底力を選手が見せてくれた。選手が頼もしかった。本当に…」泣いた。闘将が泣いた。一気の3連勝。北京五輪の出場権を手にした感激で声が震えた。
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posted by pinknokonpeito at 10:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球

2007年12月03日

韓国に勝つ!!

喜ぶ上原&星野&田淵.jpg

息詰まる熱戦で興奮しました。
これぞ野球です。

北京五輪アジア予選を兼ねたアジア野球選手権。
負ければ五輪出場の可能性が消える大一番とあって、選手もコーチも監督もみんな必死でした。

派手な選手がいないどちらかというと職人を集めたようなチームは、今まで見たどの代表チームよりまとまっているような気がしました。
何よりひた向きさが伝わってきて好感が持てました。

あ〜それにしても心臓に悪い試合だよ。
安打製造機の青木くんはヒットが出ないし、韓国の選手はボールに当たってくるし、最後までヒヤヒヤしました。

特に私は上原ファンなので、9回は神様に祈る気分でみました。
立ち上がりが悪いし一発病があるでしょ。
でも心配いらなかったね。
球威もキレも良くて、あんなに時間のかかった試合があっという間に終わっちゃった。。

インタビューを見たけど星野監督、目がウルウルしていました。
すごく興奮していて息子が言うには和田アキ子みたいなしゃべり方だって(笑)
ほんと勝ててよかった♪

星野監督、韓国戦勝利に「褒めてやりたい」
みんな頑張ったねえ。いやだね、こんなゲームは。選手の目の色を見てたら勝たせてやりたいと思った。みんな気合が入っていて、選手も裏方もひとつになっていた。(先発した成瀬に)この大会は若いピッチャーに投げてほしいと思っていた。いつでも交代オーケーだから思い切り投げろと言った。(素早い継投について)あそこは(川上)憲伸の経験に任せた。(岩瀬のロングリリーフは)本当は(藤川)球児を行かせたかったけど、(延長)10回を計算して岩瀬を信じた。(最後を締めた)上原は大した男だね。あの場面で自分を抑えて投げることができる。素晴らしいピッチャーだね。打線は(大村)サブロー、(阿部)慎之助がよく打った。稲葉の1点は大きかったね。選手には何も言うことはない。褒めてやりたい。(試合直前の韓国のオーダー変更については)勝ったんだからいい。あしたはダルビッシュに懸けたよ。
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posted by pinknokonpeito at 08:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球

2007年10月06日

涙の記者会見

西武・伊東監督が辞任…渡辺久2軍監督が昇格へ
26年間着た西武のユニホームを脱ぐ伊東監督は「弱者は去るということ。しばらくは家族とゆっくりしたい」と号泣。試合後はソフトバンク・王監督と握手を交わし、敵地で万雷の「伊東」コールを浴びた。

伊東西武の終幕に伴い、土井正博ヘッドコーチ(63)が退団を表明した。荒木大輔投手コーチ(43)も「監督が辞めるときは自分も辞めるときと思って西武に来た」と退団の意向を示唆。
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posted by pinknokonpeito at 09:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球
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