ダイヤダイヤ・*:..。生きる伝説 吉田拓郎の歌を聴こう。..:*・ダイヤダイヤ

2006年10月11日

竜の涙

中日ドラゴンズ優勝おめでとう。
野球ファンとして長い間チームを見続けていたので、プロフェッショナルな試合をしてきた彼らが祝杯をあげるのは嬉しく思います。

それにしても落合監督はすごい。
現役時代、評論家時代、そして監督と、常に冷静で論理的だ。
選手としての成績に監督としての理論と手腕。
コレだけのものがあれば黙って選手もついていくだろう。

印象的だったのはテレビのインタビューで語った中日の監督に就任した時の話。
評論家時代キャンプや試合前の練習で真剣に練習しているのは王さんのとこだけだった。
だから補強しなくてもちゃんと練習させればチームは強くなると思ったと。
おいおい、11球団の選手・監督・コーチ。
特に巨人!いったいどういう練習してんだ?

ひらめき 中日優勝までの奇跡・データ

中日が劇的延長V 落合監督泣けた
【中日9―3巨人】仮面が外れ、落合監督が泣いた。落合博満監督(52)率いる中日が10日、巨人を延長12回の末、9―3で破り、2年ぶり7度目のリーグ優勝を飾った。「オレ流」とも「孤高の打者」とも呼ばれる指揮官は、試合終了直前から号泣。クールな外見の下に隠されてきた熱い心情を見せた。就任3年で2度以上の優勝を果たしたのは中日の監督では初めてだ。信頼こそが選手の力を引き出す。その信念は揺るがなかった。


涙が止まらない。号泣だった。延長12回。グランドスラムのウッズを出迎え、抱き合った。ベンチに戻り、白いタオルで何度も顔をぬぐった。大粒の涙がつたう。何度もタオルで顔をぬぐった。そしてやってきた至福の時。就任1年目の歓喜から737日、2度目の儀式で東京ドームの天井が4度近づいた。

「すみません、涙もろいもので…」。大歓声が降り注ぐ優勝監督インタビュー。声が途切れてなかなか出てこない。やっと絞り出した言葉は「ありがとう」だった。

「今年は何があっても優勝しないといけない、させなきゃいけなかった。選手がやってくれるとは思っていたが、素晴らしい選手に恵まれました。ありがとうの一言です」

クールな勝負師。オレ流の男。そんな風評を持つ指揮官が言葉を詰まらせた。就任1年目の04年、落合監督は支配下選手70人中57人を使って優勝した。今季の起用は47人。少数精鋭故に個々の能力を最大限に高めた。チームづくりを支えたのは、3冠王としての経験だった。

初優勝した04年とほとんど同じ戦力。唯一変わったのが4番だった。「打線は4番を一番最初に決める」との構想が根本にあった。そこで04年オフ、横浜を自由契約となったウッズを獲得。その4番が期待通りに打線の中核を担った。47本塁打、143打点。優勝を決めた試合でも2本塁打、7打点を記録した。信頼こそが選手の力を引き出す。そんな哲学が正しかったことを証明した。

ロッテでの現役時代の86年。4番・落合の打率が2割を切った4月中旬、当時の稲尾和久監督から突然の訪問を受けた。信子夫人が「4番を変えてください」と頭を下げると、稲尾監督は笑って言った。「今は落合博満の弟が打っているだけ。そのうち兄貴が打ってくれるだろ」。自らの経験を指導者となって生かした。

それだけではない。改革に競争原理も導入した。チームの顔だった立浪に代え、7月中旬から森野を三塁に固定。その森野は内外野用のグラブ4個を常に持っている。「プロは試合に出てなんぼ。オレも現役時代カバンにグラブを3種類入れていた」。自らと同じ道を歩ませ、プロ10年目の森野を開花させた。

昨季、15勝21敗と負け越し、優勝を逃す最大の要因となった交流戦期間中のこと。家族3人で映画「電車男」を観賞。思いを好きな女性になかなか告げられない主人公に「うちのチームみたいだな」と苦笑いした。選手へ意図が伝わらないもどかしさ。「でもな、自分が何をすべきか理解しないと本当の強さは生まれない」。あれから1年。選手たちはたくましくなった。巨人の開幕ダッシュにも慌てず、交流戦で貯金5。6月13日に首位に立って1度も明け渡さず阪神の猛追もしのぎきった。

折に触れて助言してきた福留は首位打者を独走し、延長12回に決勝打を放った。ウッズと、打撃3部門を独占する2人が劇的な優勝を決めた。かつての3冠王の遺伝子は選手に受け継がれている。

「絶対に泣くまいと思ったんだけどな。年取ると涙腺が緩むんだよ。こんな勝ち方したら涙も出るよ」

落合監督泣いた!中日2年ぶりV!次は52年ぶり日本一だ!
現有戦力で乗り切った2年前の優勝とは思い入れが違う。ウッズの前後を固める福留、森野への密着指導。「お前がマネしていいのは前田(広島)だけだ」。昨年10月の秋季練習で、落合監督はフォーム改造に着手した福留に、持てるものすべてを授けた。微妙な距離のあった2人がこの指導で急接近。秋、春のキャンプ(沖縄・北谷)を経て、試合前の打撃練習では感覚を確かめ合うようになった。「グラウンドを90度に使えるようになったな」。かつての三冠王から“免許皆伝”が出たのは、4安打3打点で巨人を沈めた8月18日のことだ。

一方で5番を務めるまでに成長した10年目の森野には、容赦なく怒声を浴びせてきた。「三塁のポジション、欲しいと思わないのか」。昨秋のキャンプでは、日が落ちたサブグラウンドで失神寸前まで追い込んだ。福留が命名した『虫けらノック』。“立浪の後釜”と確信していたからこその愛のムチだった。その森野が開幕直前の死球で右手小指を骨折しながら、5月の一軍昇格後レギュラーに定着し、チームは首位に浮上。指揮官の目に狂いはなかった。

福留も大粒の涙「ホッとした」

泣くつもりはなかった。それでも中日・福留の目から自然と大粒の涙がこぼれ落ちた。「ホッとしちゃって。マジックもなかなか減らなかったし、2年前の優勝の時は(左手人さし指骨折で)グラウンドにいなかったから」。

自らのバットで決めた。無得点なら優勝がお預けとなる延長12回。1死満塁から中前に運んだ。「絶対においしいところだけはウッズに渡さないという気持ちだった」。V決定打が今季100打点目。「区切りの数字はこの日のために残っていたのかもしれない」と笑った。

憲伸、Vを演出
「うれしいけど、やっぱりホッとしたって感じですね」

昨年は後半の追い込み時期に、疲労が重なり、勝てなくなった。V逸の責任を一身に背負って、エースは苦悩した。

「また勝てなくなるのかな」。ふと川上の胸中にそんな不安がよぎった。昨年に続いて、8月18日の巨人戦を最後に長いトンネルに入った。
「ここ10年間で一番悩んだ。食事に行っても、練習しても、自分だけ楽しめなかった」

孤高の男が助言を周囲に求めた。野手では立浪、谷繁、井上ら先輩に聞いて回った。投手陣では歳こそ1つ上だが、今では親友と呼べる間柄となった岩瀬だった。守護神も川上の悩みに応えようと、DVDを2人で徹底的に見た。

悩めるエースに手を差し伸べたのは、ほかにもいる。森バッテリーチーフコーチが付きっきりで指導。川相もノックをして、エースの再生に、チーム全員で取り組んだ。

出した答えは、腕の振りの角度。悪いときはひじの位置が下がる。腕が横振りに近い状態に。ひじを高く真っすぐに上げて、振り下ろすのが、川上のスタイルだった。

川上が勝てないとチームに勢いが出ない。エースとは出す成績ではなく、その存在感なのだ。昨年の屈辱からエースははい上がった。勝ちはつかなかったが、試合後の川上には、勝者の笑みが輝いている。

岩瀬“胴上げ投手”
1年間、1度も休むことなく最後を締め続けた男が、待ち望んだ瞬間を迎えた。「胴上げ投手、と言ってもらってたので、これ以上のことはないです」。酷使してきた心身が、歓喜の輪の中で報われた。

まさかで幕を開けたシーズンだった。3月31日、広島との開幕戦。両チーム無得点の9回、守護神が2点を失った。今季最初の敗戦投手は岩瀬だ。4月4日の横浜戦でも多村に2ランを浴びた。2年ぶりの被弾。8年間にわたって中日の勝利の方程式を支えてきた鉄腕が、開幕からの4戦で2度救援失敗した。

チームに動揺が走った。岩瀬は当初取り組んでいたワインドアップをやめ、セットからの投球に微調整した。それは表の行動。裏では、病院へ走っていた。「先生、治るんですか?」。岩瀬は怖かった。呼吸が苦しくなる症状が続いていた。

原因はハッキリとは分からない。まだ寒かったオープン戦期間中に風邪をひき、こじらせていた。それが原因のようだが、長引き方が異常だった。気管支がぜえぜえと音を立てる。

苦しくても漏らせない。落合政権ではケガ、故障、体調不良を機密情報として隠す。「こっそりと病院に行ってた。バレないようにするの、けっこう大変だったんだから」。病院に行くため、遠征先の宿舎でもこっそりと抜け出していた。試合で打たれても、体調不良を口にせず、技術や精神の問題と言い張った。

優勝が決まった今も「ときどき『うっ』となる」という。それでも暗い顔をしない。「もう長くないかもね」。そんなジョークにして笑う。苦しかったシーズン。鉄のような強さで守護神を支えたのは、体ではなく心だった。

オレ竜V、落合監督が泣いた
グラウンド中央で胴上げを待つ選手のもとへ。ベンチを出た落合監督はいつものようにゆっくり歩き、淡々とした表情をつくった。だが1歩、1歩、進むたびに目がうるんだ。もうだめだ。泣きじゃくったまま1度、2度、3度…。涙とともに4度も宙を舞った。

延長12回、涙腺は限界に達した。福留の決勝適時打の後、ウッズが優勝を確信させる満塁弾。いつも選手に冷静な表情を見せてきた指揮官がベンチで泣いた。

「すいません…。涙もろいので…。キャンプから3年間苦しい練習させてきて何があっても優勝しなきゃいけない。させなきゃいけない気持ちがあって…。ぐっときました。長かったです。順調に戦っては来たんですが、阪神の追い込みというのは…。球史に残る戦いだったと思います」。

インタビューでも声はかすれた。マジック40点灯から2カ月間、苦しんだ分だけ涙が止まらなかった。

一匹狼だった現役時代同様、監督になってもオレ流は不変だった。マスコミへの説明より選手への配慮を優先した。後援会はなし。批判も、誤解も、お構いなし。3年間、勝利だけを追求してきた。

「野球は誰のためにやる? 自分のためだろう?ファンのため、誰かのためと言う人がいるけど、それはみんなウソだ。オレは誰に好かれようとか思わないから建前は言わない。建前を言うのは政治家に任せておけばいい。でも正直なやつは嫌われるんだ。」

そう開き直れる裏には、家族の存在がある。まだ無名のロッテ時代、選手寮から当時交際していた信子夫人の家に通った。ある日、どこか無欲なスラッガーに信子夫人が言った。「何か信じるものを持ちなさい。今持っているお守りとか、全部ここに出して!」。ベランダに出て2人でそれを燃やした。代わりに渡されたのが銀の円柱型ケースに入ったお守り。以来、それに願いをかけては実現させてきた。3度の3冠王も、巨人での日本一も、いつもお守りがそばにあった。

それから26年…。今年9月20日の横浜戦(横浜)。お守りがかばんごと盗難にあった。深夜、信子夫人と東京の自宅へ戻る約40分間の車中、ほとんど口を開かなかった。ただ1つすがっていたものを失った。「あれさえ戻ってくれば…」。ワラにもすがる思いだった。

翌日の夕方、信子夫人、長男福嗣さんと映画館に出かけた。帰り際、家族で初めてプリクラを撮ることになった。こんな時いつも父はうまく笑えない。見かねた息子がいった。「じゃあ、父ちゃん。優勝って書きなよ!」。

「嫌われたっていい」という言葉の裏には、感情表現が下手で、野球でしか自分を出せない職人の素顔がある。それを理解してくれるのはやはり家族だった。父はペンを持った。

代わりのお守りは持たなかった。新しいものをくれるという人の親切も断った。なぜなら自宅リビングには「優勝 ヤッター! 優勝」と書かれたプリクラがあった。この日もネット裏には父と一緒に涙する2人の姿があった。苦しい戦いを家族という最高の“お守り”を胸に戦い抜いた。


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posted by pinknokonpeito at 20:38 | Comment(0) | TrackBack(1) | 野球
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中日ドラゴンズ優勝
Excerpt: 中日ドラゴンズ優勝情報満載です!
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Tracked: 2006-10-14 06:50
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