ダイヤダイヤ・*:..。生きる伝説 吉田拓郎の歌を聴こう。..:*・ダイヤダイヤ

2008年10月01日

清原引退

清原和博が今日引退する。
彼は私にとって野球そのものだった。

甲子園での活躍。
桑田とのK・Kコンビに胸躍らせた。

ドラフト会議。
社会の醜さに押し流される彼らが可哀相に思えた。

涙の日本シリーズ。映画
試合中、先輩に励まされながら涙をふく清原にもらい泣きをした。

巨人への移籍。
裏切られても憧れる哀しい野球少年の姿を見た。

清原はレジェンドだ。
歩いた野球人生もそうだけど、こんなに4番が似合う男はいないだろう。
何もかも型破りな男は、今夜無冠のままバットを置く。

イチロー、番長引退試合に電撃参戦!
「行こうか、手伝いに」。野球界に数々の偉業を残した先輩へ、最後にお礼がいいたかった。

「聞いていない。そりゃ、すごいね。律義な人だよ。迎える側も盛り上げたい。ありがたいよ」
イチローの来場を聞いたオリックス・中村球団本部長は目を丸くした。歌手の長渕剛も「とんぼ」を熱唱する。阪神・金本も花束を贈呈する。格闘家の秋山成勲も駆けつける。そして相手ベンチには「世界の王」が見守る。史上最高の応援団。引退セレモニーとしては空前の豪華なイベントになる。

生で「とんぼ」歌う! 長渕、10・1清原引退試合に参戦
「片足を球団に捧げて去っていく、こんな奴がいるか?だから俺は、奴のために歌いにいくんだ」。当日は清原の依頼に応え、「とんぼ」をドーム内に叩き付け、“魂の盟友”最後の瞬間をさらに輝かせる。

長渕が清原の決意を聞いたのは、8月の引退表明より1カ月も前だった。「報告があります」。神戸から都内の長渕宅を訪れた清原との間に、しばし無言の時間が流れた。

「最後は、剛さんからいただいたギターで、『とんぼ』を、歌ってもらえませんか」
もちろん、即諾だ。試合終了後のセレモニーで、清原が血脈に注いできた自分への応援歌、「とんぼ」を絶唱する。

「和博には、存在そのものに華があるよ。なのに、イジメられすぎた感がするんだよな。最後も、自分の片足を切り落として、球団にささげて終わるんだぜ。俺はたまんないよ。さぞ苦しかったろうに。お疲れ様とか、軽々しく言えるレべルのものじゃねえよ」

清原の一軍復帰以来、「死に場所を与えてほしい」と、盟友の先発出場を熱望してきた長渕。だが、清原は左すねの蜂窩織(ほうかしき)炎でダウン。今後の出場が危うくなった。悲嘆にくれているであろう友を、思いやる気持ちがあふれた。

「俺たちはさ、奴の心にあふれる、野球一途の純情に、ただただ敬服すべきだと思うよ。傷つき、壊れても、なお突っ立った一匹の侍。豪快に打ち、豪快に笑い、豪快に傷ついた。こんなスターがほかにいるかよ」

引退試合は観戦に行くのではなく、「参戦だ」という。当日は声の限りに“清原賛歌”を歌い上げ、球団に、観客に、そして日本全国に訴える。「和博の存在自体が、球界に大事なんだろ!」と。

「共に戦ってきた証人として、ギターを持って参戦だよ。気高く旅立つ男の花道に、心から『ありがとう』を込めて歌いたいね」
ドームに響きわたるであろう、長渕入魂の絶唱。清原とファンの胸に万感の思いが共有される、球史に残る名場面が生まれるに違いない。

金本、花束贈呈も? 10・1清原引退試合
お疲れさまでした−。スーツで正装した金本が万感の思いを込めて、23年の現役生活に別れを告げる清原に花束を贈る。記録にも記憶にも残る大選手を送り出すため、阪神が全面協力の姿勢を打ち出した。

「金本が花束のプレゼンター? ルール的に問題はない。(清原は)球界の功労者だし、オリックス側から正式な話があれば、まったくやぶさかではないですよ」

引退セレモニーでは自軍や対戦チームの選手による花束贈呈が一般的。ゲストで来場した他球団の選手が行うのは異例中の異例だが、阪神サイドの声に呼応するかのように、オリックス側は「2人の関係は特別。花道を飾ってくれるならばありがたい」と語った。これで前代未聞の“越境参加”に向けて、障害はなくなった。

高校時代からのあこがれでアニキが『兄貴』と慕う。それが清原。06年5月21日の交流戦(甲子園)では先輩が通算1500打点を達成すると左翼から駆け寄り、花束を手渡した。「札束じゃなくてスミマセン」とジョークで笑わせた。

清原涙、西武D最終戦で胴上げセレモニー
今季限りで引退を表明しているオリックス清原和博内野手(41)が泣いた。西武渡辺監督から花束を贈られ、肩を抱かれると涙が止まらなくなった。「お前なら何でもできる。何やっても生きていける」と耳元で言葉をかけられ、「ナベさん」と慕ってきた兄貴分の胸でうなずくのがやっとだった。古巣西武との最終戦後のサプライズセレモニー。西武ナインの手で4度宙を舞って、背番号3を引き継ぐ中島とユニホームを交換した。

清原 ラスト前が西武球場で運命的なものを感じました。一番かわいがってもらった先輩に送り出してもらって。夢を追いかけ巨人に行ったけど、西武ファンの方は帰ってくるたび温かい声援をくれた。ジーンと来ました。

球場全体の清原コールを受け、「とんぼ」のBGMが流れる中、一塁ベースを踏んで右翼席まで歩きファンに何度も頭を下げた。そして打席に立ち、また頭を下げた。「525本の本塁打の半分以上がライオンズのユニホームを着て打ったものだから」。

清原4番DHフルスイングで現役生活別れ
 清原 戦力として見られていない以上、ここが引き際だと思いました。この状態でCSに行っても監督は采配を迷うでしょうから…。

左ひざの軟骨移植手術を乗り越え、8月3日に1軍復帰したが、21試合すべて代打出場。快進撃の陰で勝利に貢献できないもどかしさに苦悩した。やれる自信はあっても、首脳陣の評価は代打要員。一流選手だれもがやめる際に感じる寂しさを感じていた。

 清原 こんな花道をつくってくれた。それだけでも感謝でいっぱいです。

ローズ、北川らチームメートからは「最後までキヨさんと戦いたい」と何度も引き留められた。巨人時代から苦楽をともにするローズからは「ベンチに座ってるだけでいいから一緒に出てください」と涙まじりに訴えられた。だが清原は引退を決意した時点で本拠地最終戦を引き際と決めていた。「グラウンドに立って勝負するために、手術を受けたんだから」。もうベンチで若手を鼓舞したりする役目は終わった。

 清原 タフィー(ローズ)とかの気持ちは、心からうれしかったよ。でもオレが出ないことで1つ席(選手枠)が空く。まだ発展途上のチームだし、若い選手に経験を積んでもらえたらそれでいい。グラウンドに立たないけど日本一になれることを祈ってるよ。

 清原 生まれ育った大阪で終われるのは幸せや。最後はひざが壊れてもいいぐらいのフルスイングで、ホームランを狙うよ。清原和博の最後の姿を心に焼きつけてください。

清原和博の“真実” 〜親友・大塚光二が語る〜
個人タイトルを狙っても良かったんだけど、キヨはあくまでもチームの勝利のためだけに打席に入っていた、真の4番バッターだったと思います。

キヨは相手のエースからは打っていましたけど、相手投手の力が落ちたり、試合が決まった状況になると意外と打たなかったんですよ。
その後、キヨが巨人に移籍したときに松井秀喜とそのことについて話したらしいんですね。そこで松井は5打席目、6打席目も「巨人の4番」として見られている、試合が決まろうが決まるまいがファンが見ているから、そこで集中力を持って4番の仕事をするんだと言ったそうです。ここは松井のすごくいいところだと思いますね。キヨの場合は勝敗を背負うことだけに集中していた。小久保(裕紀・福岡ソフトバンク)も同じようなことを言ってたんですが、4番打者はチームの勝敗を背負わなくてはならないという考え方でした。

そしてキヨと勝負すると明らかに相手投手の球速も上がるんですけど、その中で真っ向勝負をして、それに応えられる選手だったなと。受け止めることができる、器が大きい4番バッターだったなと思います。

キヨの言葉が支え…85年最後の夏V
甲子園で準々、準決勝となれば連投、連投で、マウンドに立っているだけで意識が朦朧(もうろう)としてくる。そんな時、最後の最後に僕を支えてくれたのがマウンドでのキヨの言葉だった。「桑田、おれ絶対打つから。しんどいのは分かってる。でもおれ、お前のために絶対打つから」――。

23年目の原点。清原和博の真髄とは。
復帰1戦目の打席は空振り三振に終わったが大きな拍手が起きた。「頭の中が真っ白になった」と言ったが、その言葉を聞くのは2度目であった。

1度目は巨人と初めて日本シリーズを行った'87年の最後の守りについた時。大粒の涙を流し始めた時のことである。

その理由を直接聞くと「ツーアウトになって、王監督が三塁ベンチで天を仰いだ。一塁だから正面に見えるのや。それを見た時、巨人に勝ったと思ったら頭がまっ白になった」と説明した後、「恥ずかしいから書かんといてな」と照れくさそうに付け加えた。

あれから21年。プロ最後の打席と覚悟を決めた時、頭がまっ白になったと再び言った。
一塁ベンチから打席に向う時、三塁ベンチで指揮するソフトバンク・王貞治監督に会釈している。この時、拍手で王は清原をたたえた。その姿に21年前を思い出して、頭がまっ白になったのではないだろうか。

清原号泣、巨人倒して日本一
西武が巨人を4勝2敗で破り、2年連続4度目の日本一に輝いた。清原は宿敵巨人を倒し号泣した。
清原は泣いていた。9回表、最後の守り。吉村の遊ゴロをさばいた清家からの送球を受けた清原の号泣する姿を見て、二塁から先輩の辻がビックリしてスッ飛んできた。

「オイ、しっかり目をあけんかい!」。辻に両肩をたたかれてハッパをかけられても、あふれ出る涙を止めることができなかった。その姿に胸を打たれた伊東、秋山がもらい泣きした。ベンチではクールでなる東尾までが涙を流した。清原は涙でかすんだ目で、ウイニングボールを秋山がキャッチするのを見届けると、「ウオー」とおえつをもらしながらマウンド上の歓喜の胴上げに加わっていた。
 「自然にこみあげてきたんです。9回表、最後の守りについた時、足がガタガタ震えてきて、涙が出てきました」。昨年の日本シリーズ、19歳の4番として出場し、広島を破って日本一を達成した時も涙は出なかった。
 しかし、今年は泣いた。プロのユニホームを着てから流す初めての感涙。涙の理由はただ一つ。巨人を破ったからだ。「巨人を倒すことが、僕がプロに入った一つの目標でしたから。それを達成できて、すごくうれしい!」。試合後の共同記者会見で、ちょっぴり赤く、まだ潤んだ目で悲願達成に喜びをあらわにした。
 「巨人を倒すんや!」。60年11月20日ドラフトで指名確実といわれた巨人が自分を指名せず、よりによってPL学園の同僚の桑田を指名。悔し涙にくれた。そして西武に入団。「王さんに”あの時(ドラフトで)清原をとっておけばよかった”と言わせたい」。その一念が清原の支えだった。そのドラフトから712日目の清原の夢がかなったわけだ。

 桑田はライバル清原のはしゃぎぶりを、そして西武森監督の胴上げをジッとベンチで見つめていた。悔しいけれど、見届けなくてはならない。来期の雪辱のために悔しいシーンを目に焼きつけた。そして西武の表彰選手に拍手を送った。「勉強になりました」。工藤のインタビューを見ながら桑田はポツリ。第1戦と第5戦に先発したが連続KO。この日も一度、ブルペンで肩をつくりラストチャンスを待ったが、そのまま終わった。
 清原とのKK対決は3度。2打数1安打1四球と引き分け。清原は「桑田との対決はいろいろ騒がれたけど僕は9分の1としか思っていなかった。こんなもんだったかなって感じです」と話した。一方の桑田は「キヨは泣いていたんですか。2年連続で優勝するなんて、やっぱりアイツと西武はすごいね」。悔しい思いを胸に「来年こそは…」と雪辱を誓ってバスに乗り込んだ。

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posted by pinknokonpeito at 17:11 | Comment(1) | TrackBack(0) | 野球
この記事へのコメント
こんにちわ!ちょっと立ち寄らせてもらいました。
よければ、こちらも、遊び来てね(*^_^*)
    http://ameblo.jp/runrun989/entry-10094607791.html
Posted by かな at 2008年10月02日 09:43
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