ダイヤダイヤ・*:..。生きる伝説 吉田拓郎の歌を聴こう。..:*・ダイヤダイヤ

2008年10月31日

ドラフト悲喜こもごも

今年もドラフト会議が終わりました。
喜ぶ顔があれば困惑する顔もあり色々です。
でもどちらの道が幸運かなんてわからないのだから、目の前に広がった道を力強く進んで欲しいと思う。

憧れの原監督の下でプロに挑む怪物
「感謝の気持ちでいっぱいです。幸せを感じています」
 巨人は意中の球団だった。城南中学2年のとき、地元・広島の野球教室に原監督が来た。練習する大田を見ながら「いいスイングだね」と言ってくれた。一目ぼれしたのは大田のほうだった。
 地元を離れ、神奈川の東海大相模高へ。原監督の後輩になった。通算65本塁打を量産し、気にかけてもらえる選手へと成長した。

巨人熱望の長野 バレンタイン対面拒否
06年に日本ハムの4巡目指名を拒否した。巨人入りだけを信じ、日大からホンダへ就職し、この日を待っていた。安藤監督は巨人以外のスカウトに「長野の気持ちを分かって欲しい」と遠回しながら指名回避をお願いしていたという。東海大相模の大田がプロ志望届を提出したときには「長野から笑顔が消えた」と振り返った。
 「(会社に残留するか)半々ですね」。巨人への思いは強いが、年齢的にも焦りはあるはず。

息子ら教え子3人が指名 晴れの日
 千葉経大付高(千葉)の松本監督にとっては晴れの日となった。横浜1位で長男の啓二朗(早大)をはじめ、同校から巨人3位の斎藤、楽天4位の井上(青学大)と教え子が指名された。「一人一人の夢がかなって本当にうれしい」と話した。

楽天3組目!楠城、父から“直接指名”
パナソニックの楠城は、ドラフト会場のテーブルにいた父から“直接指名”を受けた。父親は楽天の楠城編成部長補佐。だが「父は父、自分は自分と思ってやってきた。父は関係ない」と親離れ宣言だ。一方の父親は「右の野手が少ないという事情があった。野手の候補が少ない中で球団との思惑が一致した」と仕事上の立場で指名に至った経緯を説明したのに続き、父親としての喜びと期待を口に。「大学では指名がなかったけど、慣れない関西で1人暮らししたり、いろんな意味で成長している。野村監督はいいところを見つけて使ってくれる。厳しいと思うが頑張ってほしい」とエールを送った。チームでは野村監督と克則バッテリーコーチ、広橋2軍外野守備走塁コーチが義父の岩隈に続き“3組目”の父子鷹。「ここ一番で打てる選手になりたい」と活躍を誓った。

角Jrはロッテに!4組の“父子鷹”誕生
ロッテの育成ドラフト3位・角は「(夢を)実現できると信じて待っていた。どういう形であれ指名されてうれしい」と声を弾ませた。元巨人投手として活躍した盈男氏の次男。10月の入団テストで最終選考に残っていたが、横浜市内の自宅でテレビを見て、指名を受けると大粒の涙。そのまま父の運転する車で学校に駆けつけた。

落合竜 スカウト陣押し切り野本指名
中日は落合監督が大田の指名を推したスカウト陣の反対を押し切り、野本を1位指名した。競合覚悟で大田の指名を促していた中田スカウト部長は「清原、福留、松井秀と、これといった打者はすべて指名してきたのに…」と不満を口にした。来季は森野を三塁に戻す見込みで、落合監督は「現状では中堅がいない」と話し「来季のシミュレーションをして出した結論。現場のわがままを通してもらった」と、こちらは上機嫌だった。

わーい(嬉しい顔)チーム事情にあわせて本当に必要な選手をとるのがドラフト会議の意義だと思うのですが、スカウトの言い分って何exclamation&question
そんな事言っていると、巨人みたいになっちゃうよ。。

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posted by pinknokonpeito at 13:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球

2008年10月02日

清原和博 強烈な個性の終焉

語り尽くした キヨ50分会見
杉内投手に感謝したい

セレモニー終了後の記者会見で清原は何度も涙ぐみながら、約50分間、思いを語った

−−フルスイングだった

 「全球、直球できてくれた杉内投手に感謝したい。あのストレートを空振りして、『ああ、終わった』と自分自身で納得することができた」

 ―阪神・金本が駆けつけてくれた。
「シーズンの一番大事な時なのに来てくれた。足が痛いと言えば、治療院を紹介してくれたり(遠征先の)宿舎で治療器を持って待っていてくれた。そういう金本選手に、ボクもほれました」

 ―長渕剛さんは「とんぼ」を熱唱してくれた。
「いつも心が折れそうになる僕を励ましてくれた。『とんぼ』はボクの野球人生を表しているような曲。ボクの魂を鎮める『とんぼ』を心の底から歌っていただいて、僕の野球人生が終わった」

 ―2人の息子さんからも花束をもらった。
「ボクがケガで野球ができない時は、一切野球をしたがらなかったのに、ユニホームを着るようになると、やたらとキャッチボールをせがむようになった。悔いが残るとすれば、息子たちに、もう1本、ホームランを見せてあげたかった」

 ―打撃タイトルと無縁だった。
「プロ野球の歴史の中で一番三振したバッター、一番デッドボールを受け、一番サヨナラホームランを打ったバッター。もちろんタイトルは取りたかったけど、8度も日本一を経験させて頂いたし、それ以上求めたらバチが当たります」

 −−23年の思い出は

 「ライオンズでは日本一を何度も経験させてもらい、いい思いばかり。ジャイアンツでは本当に苦しい思いばかり。でも、ジャイアンツファンの大声援が、僕を癒してくれた。仰木監督がこの大阪、オリックスへ連れてきてくれなければ、僕の野球人生はうらみしか残らなかった。仰木さんに誘っていただいて、オリックスでこのユニホームで引退できることがうれしかった。あまり大阪で活躍できなかったが、ファンの声援を聞いたときだけ、どんな痛み止めの注射よりもひざの痛みが消えた。だから、温かい声援をくれた大阪のみなさん、オリックスファンのみなさん、そして在籍した全球団のみなさんに感謝したい」

 −−印象に残る本塁打は

 「不安の中で始まったプロ生活。525本打ったが、やはり1本目を一番覚えている」

 −−対戦した投手の中で、一番と思える投手は

 ケガをする前、松坂君と最後にスカイマークスタジアムで対戦したんですが、4打数4三振。すべて直球で、バットに1球もかすらなかった。

 −−桑田投手という存在は

 アメリカという遠く離れたところにいても、ジャイアンツにいたときより心は近く感じた。桑田が今年引退して、自分の心がそこまで桑田に依存していたのかと知らされた。3日間休みましたもの。それだけぽっかり心に穴があいた。同じ年にやめることにも、運命を感じます。今日もぼくの前には来なかったけれど、球場に来てくれて、自分の最後の姿を見てもらうことができた。

 −−会えば何と声をかけるのか

 清原 やっとお前と同じ心境になれたよ、と。そう言いたい。

 −−花道は飾れたか

 「昨年、本当は引退しようと思ったが、少しでも大阪、オリックスに恩返しをしたいとひざの手術をした。手術を受ける時、ボクも最後まで闘い抜こうと決めた。辞める年にチームがクライマックスシリーズ(CS)にいけるのは本当にうれしい」

 −−CSを辞退した

 「自分自身、戦力になっていないと感じた。僕がベンチに座るより、将来ある選手に厳しい戦いを知ってもらいたい」

 ―今後、指導者として野球界に戻る日は?
「そういう夢はありますけど、とにかく今は、23年間酷使してきた体を休めてあげたい」
(会見を終えて立ち上がり、報道陣に)
「多々無礼があったと思う。ボク自身、弱い人間と自覚していた。だから、自分を守ろうと、そういう態度をとってしまった。良いことも悪いこともこれほど取り上げていただいた幸せな野球選手はいないと思う」

数字で見る清原は「希代の大打者」
歴代5位の通算525本塁打、6位の1530打点は現役最高。通算打率は・272ながら、日本プロ野球史上、清原以外に2000安打、500本塁打、1500打点を達成したのは王貞治(巨人)、野村克也(西武)、門田博光(ダイエー)、落合博満(日本ハム)、張本勲(ロッテ)の5人だけ。清原が球史に残る大打者だったことは間違いない。

 しかし不思議とタイトルには恵まれず「無冠の帝王」と呼ばれた。1992年には1打点差、96年には1本差で、それぞれ打点王、本塁打王を逃した。自己最高の121打点を挙げた巨人時代の2001年も、127打点のペタジーニ(当時ヤクルト)にタイトルをさらわれた。個人の成績より進塁打などチーム打撃を優先し、勝利にこだわった結果とも言われる。

 その証拠に、勝利にこだわる必要のないオールスターの成績は抜群だ。43試合に出場してMVP受賞7度は最多。通算打率・365(100打席以上)、打点34とも1位、通算本塁打13は2位と爆発。まさに「お祭り男」でもあった。

 通算三振数1955、通算死球数196の日本記録保持者でもある。フルスイングの真っ向勝負を貫いた証しだ。そうした姿勢こそが野茂英雄(当時近鉄)、伊良部秀輝(同ロッテ)らとの後々まで語られる名勝負を生み、ファンに強烈な印象を与えた理由だろう。

■清原の主な通算成績
部 門  成 績        歴代1位    
試 合 2337 (11) 野 村(武)3017
安 打 2121 (23) 張 本(ロ)3085
得 点 1280  (9)  王 (巨)1967
本塁打  525  (5)  王 (巨) 868
塁 打 4064 (10)  王 (巨)5862
打 点 1529  (6)  王 (巨)2170
四 球 1346  (3)  王 (巨)2390
死 球  196  (1)  [竹之内=神= 166]
三 振 1953  (1)  [秋 山=ダ=1712]
( )内数字は歴代順位、歴代1位の欄の[ ]は歴代2位の選手と成績

森・元西武監督が清原を「野球に純粋」
とにかく野球に純粋な男だったと思う。西武で何年間も連続して優勝したチームの4番を務めてくれたことこそが、立派な「タイトル」だと思いますね。「長い間、ごくろうさん」と言ってあげたい。
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posted by pinknokonpeito at 11:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 野球

2008年10月01日

清原引退

清原和博が今日引退する。
彼は私にとって野球そのものだった。

甲子園での活躍。
桑田とのK・Kコンビに胸躍らせた。

ドラフト会議。
社会の醜さに押し流される彼らが可哀相に思えた。

涙の日本シリーズ。映画
試合中、先輩に励まされながら涙をふく清原にもらい泣きをした。

巨人への移籍。
裏切られても憧れる哀しい野球少年の姿を見た。

清原はレジェンドだ。
歩いた野球人生もそうだけど、こんなに4番が似合う男はいないだろう。
何もかも型破りな男は、今夜無冠のままバットを置く。

イチロー、番長引退試合に電撃参戦!
「行こうか、手伝いに」。野球界に数々の偉業を残した先輩へ、最後にお礼がいいたかった。

「聞いていない。そりゃ、すごいね。律義な人だよ。迎える側も盛り上げたい。ありがたいよ」
イチローの来場を聞いたオリックス・中村球団本部長は目を丸くした。歌手の長渕剛も「とんぼ」を熱唱する。阪神・金本も花束を贈呈する。格闘家の秋山成勲も駆けつける。そして相手ベンチには「世界の王」が見守る。史上最高の応援団。引退セレモニーとしては空前の豪華なイベントになる。

生で「とんぼ」歌う! 長渕、10・1清原引退試合に参戦
「片足を球団に捧げて去っていく、こんな奴がいるか?だから俺は、奴のために歌いにいくんだ」。当日は清原の依頼に応え、「とんぼ」をドーム内に叩き付け、“魂の盟友”最後の瞬間をさらに輝かせる。

長渕が清原の決意を聞いたのは、8月の引退表明より1カ月も前だった。「報告があります」。神戸から都内の長渕宅を訪れた清原との間に、しばし無言の時間が流れた。

「最後は、剛さんからいただいたギターで、『とんぼ』を、歌ってもらえませんか」
もちろん、即諾だ。試合終了後のセレモニーで、清原が血脈に注いできた自分への応援歌、「とんぼ」を絶唱する。

「和博には、存在そのものに華があるよ。なのに、イジメられすぎた感がするんだよな。最後も、自分の片足を切り落として、球団にささげて終わるんだぜ。俺はたまんないよ。さぞ苦しかったろうに。お疲れ様とか、軽々しく言えるレべルのものじゃねえよ」

清原の一軍復帰以来、「死に場所を与えてほしい」と、盟友の先発出場を熱望してきた長渕。だが、清原は左すねの蜂窩織(ほうかしき)炎でダウン。今後の出場が危うくなった。悲嘆にくれているであろう友を、思いやる気持ちがあふれた。

「俺たちはさ、奴の心にあふれる、野球一途の純情に、ただただ敬服すべきだと思うよ。傷つき、壊れても、なお突っ立った一匹の侍。豪快に打ち、豪快に笑い、豪快に傷ついた。こんなスターがほかにいるかよ」

引退試合は観戦に行くのではなく、「参戦だ」という。当日は声の限りに“清原賛歌”を歌い上げ、球団に、観客に、そして日本全国に訴える。「和博の存在自体が、球界に大事なんだろ!」と。

「共に戦ってきた証人として、ギターを持って参戦だよ。気高く旅立つ男の花道に、心から『ありがとう』を込めて歌いたいね」
ドームに響きわたるであろう、長渕入魂の絶唱。清原とファンの胸に万感の思いが共有される、球史に残る名場面が生まれるに違いない。

金本、花束贈呈も? 10・1清原引退試合
お疲れさまでした−。スーツで正装した金本が万感の思いを込めて、23年の現役生活に別れを告げる清原に花束を贈る。記録にも記憶にも残る大選手を送り出すため、阪神が全面協力の姿勢を打ち出した。

「金本が花束のプレゼンター? ルール的に問題はない。(清原は)球界の功労者だし、オリックス側から正式な話があれば、まったくやぶさかではないですよ」

引退セレモニーでは自軍や対戦チームの選手による花束贈呈が一般的。ゲストで来場した他球団の選手が行うのは異例中の異例だが、阪神サイドの声に呼応するかのように、オリックス側は「2人の関係は特別。花道を飾ってくれるならばありがたい」と語った。これで前代未聞の“越境参加”に向けて、障害はなくなった。

高校時代からのあこがれでアニキが『兄貴』と慕う。それが清原。06年5月21日の交流戦(甲子園)では先輩が通算1500打点を達成すると左翼から駆け寄り、花束を手渡した。「札束じゃなくてスミマセン」とジョークで笑わせた。

清原涙、西武D最終戦で胴上げセレモニー
今季限りで引退を表明しているオリックス清原和博内野手(41)が泣いた。西武渡辺監督から花束を贈られ、肩を抱かれると涙が止まらなくなった。「お前なら何でもできる。何やっても生きていける」と耳元で言葉をかけられ、「ナベさん」と慕ってきた兄貴分の胸でうなずくのがやっとだった。古巣西武との最終戦後のサプライズセレモニー。西武ナインの手で4度宙を舞って、背番号3を引き継ぐ中島とユニホームを交換した。

清原 ラスト前が西武球場で運命的なものを感じました。一番かわいがってもらった先輩に送り出してもらって。夢を追いかけ巨人に行ったけど、西武ファンの方は帰ってくるたび温かい声援をくれた。ジーンと来ました。

球場全体の清原コールを受け、「とんぼ」のBGMが流れる中、一塁ベースを踏んで右翼席まで歩きファンに何度も頭を下げた。そして打席に立ち、また頭を下げた。「525本の本塁打の半分以上がライオンズのユニホームを着て打ったものだから」。

清原4番DHフルスイングで現役生活別れ
 清原 戦力として見られていない以上、ここが引き際だと思いました。この状態でCSに行っても監督は采配を迷うでしょうから…。

左ひざの軟骨移植手術を乗り越え、8月3日に1軍復帰したが、21試合すべて代打出場。快進撃の陰で勝利に貢献できないもどかしさに苦悩した。やれる自信はあっても、首脳陣の評価は代打要員。一流選手だれもがやめる際に感じる寂しさを感じていた。

 清原 こんな花道をつくってくれた。それだけでも感謝でいっぱいです。

ローズ、北川らチームメートからは「最後までキヨさんと戦いたい」と何度も引き留められた。巨人時代から苦楽をともにするローズからは「ベンチに座ってるだけでいいから一緒に出てください」と涙まじりに訴えられた。だが清原は引退を決意した時点で本拠地最終戦を引き際と決めていた。「グラウンドに立って勝負するために、手術を受けたんだから」。もうベンチで若手を鼓舞したりする役目は終わった。

 清原 タフィー(ローズ)とかの気持ちは、心からうれしかったよ。でもオレが出ないことで1つ席(選手枠)が空く。まだ発展途上のチームだし、若い選手に経験を積んでもらえたらそれでいい。グラウンドに立たないけど日本一になれることを祈ってるよ。

 清原 生まれ育った大阪で終われるのは幸せや。最後はひざが壊れてもいいぐらいのフルスイングで、ホームランを狙うよ。清原和博の最後の姿を心に焼きつけてください。

清原和博の“真実” 〜親友・大塚光二が語る〜
個人タイトルを狙っても良かったんだけど、キヨはあくまでもチームの勝利のためだけに打席に入っていた、真の4番バッターだったと思います。

キヨは相手のエースからは打っていましたけど、相手投手の力が落ちたり、試合が決まった状況になると意外と打たなかったんですよ。
その後、キヨが巨人に移籍したときに松井秀喜とそのことについて話したらしいんですね。そこで松井は5打席目、6打席目も「巨人の4番」として見られている、試合が決まろうが決まるまいがファンが見ているから、そこで集中力を持って4番の仕事をするんだと言ったそうです。ここは松井のすごくいいところだと思いますね。キヨの場合は勝敗を背負うことだけに集中していた。小久保(裕紀・福岡ソフトバンク)も同じようなことを言ってたんですが、4番打者はチームの勝敗を背負わなくてはならないという考え方でした。

そしてキヨと勝負すると明らかに相手投手の球速も上がるんですけど、その中で真っ向勝負をして、それに応えられる選手だったなと。受け止めることができる、器が大きい4番バッターだったなと思います。

キヨの言葉が支え…85年最後の夏V
甲子園で準々、準決勝となれば連投、連投で、マウンドに立っているだけで意識が朦朧(もうろう)としてくる。そんな時、最後の最後に僕を支えてくれたのがマウンドでのキヨの言葉だった。「桑田、おれ絶対打つから。しんどいのは分かってる。でもおれ、お前のために絶対打つから」――。

23年目の原点。清原和博の真髄とは。
復帰1戦目の打席は空振り三振に終わったが大きな拍手が起きた。「頭の中が真っ白になった」と言ったが、その言葉を聞くのは2度目であった。

1度目は巨人と初めて日本シリーズを行った'87年の最後の守りについた時。大粒の涙を流し始めた時のことである。

その理由を直接聞くと「ツーアウトになって、王監督が三塁ベンチで天を仰いだ。一塁だから正面に見えるのや。それを見た時、巨人に勝ったと思ったら頭がまっ白になった」と説明した後、「恥ずかしいから書かんといてな」と照れくさそうに付け加えた。

あれから21年。プロ最後の打席と覚悟を決めた時、頭がまっ白になったと再び言った。
一塁ベンチから打席に向う時、三塁ベンチで指揮するソフトバンク・王貞治監督に会釈している。この時、拍手で王は清原をたたえた。その姿に21年前を思い出して、頭がまっ白になったのではないだろうか。

清原号泣、巨人倒して日本一
西武が巨人を4勝2敗で破り、2年連続4度目の日本一に輝いた。清原は宿敵巨人を倒し号泣した。
清原は泣いていた。9回表、最後の守り。吉村の遊ゴロをさばいた清家からの送球を受けた清原の号泣する姿を見て、二塁から先輩の辻がビックリしてスッ飛んできた。

「オイ、しっかり目をあけんかい!」。辻に両肩をたたかれてハッパをかけられても、あふれ出る涙を止めることができなかった。その姿に胸を打たれた伊東、秋山がもらい泣きした。ベンチではクールでなる東尾までが涙を流した。清原は涙でかすんだ目で、ウイニングボールを秋山がキャッチするのを見届けると、「ウオー」とおえつをもらしながらマウンド上の歓喜の胴上げに加わっていた。
 「自然にこみあげてきたんです。9回表、最後の守りについた時、足がガタガタ震えてきて、涙が出てきました」。昨年の日本シリーズ、19歳の4番として出場し、広島を破って日本一を達成した時も涙は出なかった。
 しかし、今年は泣いた。プロのユニホームを着てから流す初めての感涙。涙の理由はただ一つ。巨人を破ったからだ。「巨人を倒すことが、僕がプロに入った一つの目標でしたから。それを達成できて、すごくうれしい!」。試合後の共同記者会見で、ちょっぴり赤く、まだ潤んだ目で悲願達成に喜びをあらわにした。
 「巨人を倒すんや!」。60年11月20日ドラフトで指名確実といわれた巨人が自分を指名せず、よりによってPL学園の同僚の桑田を指名。悔し涙にくれた。そして西武に入団。「王さんに”あの時(ドラフトで)清原をとっておけばよかった”と言わせたい」。その一念が清原の支えだった。そのドラフトから712日目の清原の夢がかなったわけだ。

 桑田はライバル清原のはしゃぎぶりを、そして西武森監督の胴上げをジッとベンチで見つめていた。悔しいけれど、見届けなくてはならない。来期の雪辱のために悔しいシーンを目に焼きつけた。そして西武の表彰選手に拍手を送った。「勉強になりました」。工藤のインタビューを見ながら桑田はポツリ。第1戦と第5戦に先発したが連続KO。この日も一度、ブルペンで肩をつくりラストチャンスを待ったが、そのまま終わった。
 清原とのKK対決は3度。2打数1安打1四球と引き分け。清原は「桑田との対決はいろいろ騒がれたけど僕は9分の1としか思っていなかった。こんなもんだったかなって感じです」と話した。一方の桑田は「キヨは泣いていたんですか。2年連続で優勝するなんて、やっぱりアイツと西武はすごいね」。悔しい思いを胸に「来年こそは…」と雪辱を誓ってバスに乗り込んだ。

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posted by pinknokonpeito at 17:11 | Comment(1) | TrackBack(0) | 野球
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